2016年8月11日木曜日

東海道五十七次(その2)「京街道の宿場町を散歩してみよう」

大阪くらしの今昔館の特別展「淀川舟游」にちなんで、京と大坂を結ぶ京街道のお話の続きです。
東海道五十七次(その1)はこちらからご覧ください。

江戸から大坂へ向かう道順で、伏見の一つ手前の大津宿からスタートし、宿場町を紹介します。
明治42年の地形図(陸地測量部地図)には、江戸時代の面影がまだ少し残っていますので、道順に沿って各宿場町と起終点である京橋・高麗橋の昔と今を見ていきましょう。

[大津]
草津宿から瀬田の唐橋を渡り大津宿に入ると、京町通を抜けて札の辻に出ます。ここから逢坂の関を超えて伏見宿へ向かいますが、途中の髭茶屋追分までは京へ向かう東海道と同じ道で、現在の京阪京津線に沿って進みます。髭茶屋追分で、東海道と別れ南西に折れるルート(大津街道・奈良街道とも呼ばれる)を進み、伏見宿を目指します。
大津宿の昔と今(今昔マップ)


大津宿~伏見宿(今昔マップ)


[伏見]
髭茶屋追分からの道は、伏見宿の南東隅に通じています。ここから、図の右端に近い京町通を北へ向かいそのまま直進すると京に通じています。
右側の現在の地図で道幅の広い大手筋は旧伏見城の大手門に通じる通りで、現在はアーケードのある商店街となっています。 京街道は一筋南の魚屋通を西に進み、途中かぎ型の折れ曲がり(「四辻の四つ当り」といわれる。右の図の+印)を経て琵琶湖疎水と高瀬川を渡り、まちの西端を南へ進み、宇治川の堤に出ます。
伏見宿の昔と今(今昔マップ)
四辻の四つ当たり
酒蔵の残る町並み
新高瀬川沿いの酒蔵
伏見みなと公園

伏見宿~淀宿(今昔マップ)

[淀]
淀宿は淀城の城下町がそのまま宿場町になっています。伏見から来た京街道は、淀城の北側の納所(のうそ)村(現在も納所交差点があります)で京の羅城門を起点に桂川に沿って進んで来た鳥羽街道(千本通)と合流します。また、宮前橋を渡り西へ進むと西国街道と合流します。京街道は納所から南へ城下町の折れ曲がりを経て南西に向かいます。
淀宿の昔と今(今昔マップ)

淀城の跡には現在、與杼(よど)神社と稲葉神社の2つの神社があり、史跡公園となっています。
與杼(よど)神社
淀城の石垣
淀城の城址、淀小橋跡、唐人雁木跡
稲葉神社案内板、稲葉時代の淀城下


明治22年の陸地測量部地図を国際日本文化研究センターさんから入手することができました。

木津川は明治時代の初めに八幡のほうに付け替えられた後ですが、旧の川筋の痕跡がわかります。宇治川は付け替え前ですので、淀城の北側を流れています。宇治川に沿って京街道がとおり、納所と淀城の間に淀小橋が架かっています。

地図の下部中央の美津村の文字のところが旧木津川の川筋と考えられますので、大橋の位置も推定することができます。木津川の付け替え前を想定すると、淀城はまさに三川合流地点に立地しており、水陸交通の要衝にさながら水上の要塞のようにそびえていたことでしょう。
明治22年の陸地測量部地図の淀城付近


淀宿~枚方宿(今昔マップ)


[枚方]
淀宿から宇治川、木津川を渡り、淀川の左岸の堤を南西に進みます。途中遊郭の栄えた橋本を経由して堤を進み、天野川を渡って枚方宿に入ります。枚方宿は、現在の京阪枚方市駅から枚方公園駅の一駅分の区間がすべて宿場町となっています。京と大坂の中間に位置し、宿場町として繁栄したことが覗われます。三十石船に飯や汁を提供する「くらわんか舟」は、枚方宿を基地にして活動していました。

枚方宿の昔と今(今昔マップ)


枚方宿の町並み


枚方宿の案内図


西見附案内板


鍵屋資料館



枚方宿~守口宿(今昔マップ)


[守口]
枚方宿からは光善寺あたりの旧集落を抜けて淀川の堤に出ます。堤上を南西に進み寝屋川市に入ります。淀川新橋、鳥飼仁和寺大橋、鳥飼大橋の3つの橋をくぐり守口市に入ります。守口宿は左の古い地図を見ると秀吉が整備した文禄堤に沿って宿場町が形成されていたことがよくわかります。

守口宿の昔と今(今昔マップ)


守口宿一里塚跡


守口宿案内図


守口宿難宗寺


文禄堤案内板



守口宿~京橋・高麗橋(今昔マップ)


[京橋・高麗橋]
守口宿からは市街地を歩き、千林商店街、関目の七曲り、野江の元刑場を経て京阪の京橋駅に着きます。さらに寝屋川の北岸を西に進み、大坂城の京橋口に至ります。京につながる橋ということで「京橋」と名付けられた橋が寝屋川に架かっています。現在の京阪の京橋とはかなり離れたところです。

そこからさらに西に進み、天満橋を経て、今橋の手前を南に曲がり、高麗橋に着きます。
高麗橋は大坂城の外堀にあたる東横堀川に架かる橋で、現在の土佐堀通に架かる今橋の一つ南になります。
幕府が管理する公儀橋のひとつで、大坂からの距離を示す基点(道路元標)がありました。橋の西詰には、南北に矢倉屋敷が建っていました。橋の欄干は矢倉屋敷をデザインしています。高麗橋通りには、呉服商、両替屋、紙屋、秤座などが並んでいて、当時のメインストリートでした。

京橋・高麗橋周辺の昔と今(今昔マップ)


京橋口付近から見たOBP


大阪城の石垣と天守閣


八軒家船着場の跡


熊野街道は八軒家から出発する


高麗橋西詰


高麗橋東詰の里程元標と矢倉屋敷の欄干



[あとがき]
6月の土曜日、三条大橋から、伏見、淀、枚方、守口、京橋を経て、高麗橋まで歩きました。暑い一日でした。全体に平坦な道ですが、アスファルト舗装の道が多く、特に伏見から淀の間は長かったです。枚方から守口も延々と堤防上を歩きますので、開放的な気分にはなりますがやや単調でした。全コース通してはウォーキングよりもサイクリング向きかもしれません。伏見、淀、枚方、守口の4つの宿場町は、それぞれ京阪電車の駅から近いですから駅を起点にした散策にも適していると思います。

三十石舟は、伏見から八軒家まで下りは半日で着きましたが、上りは流れに逆らうため全行程の3分の1にあたる9つの区間で人足が船を曳く必要があり1日を要しました。運賃も上りは下りの2倍以上かかりました。値段が高くて時間もかかるということで、上りは徒歩が多かったといわれます。昔の人は偉かった。

地図の紹介に使用させていただいた「今昔マップ on the web」は、埼玉大学教育学部 谷 謙二教授(人文地理学研究室)が作成された時系列地形図閲覧サイトです。明治時代後半から最近までの国土地理院地図を、現在の地図と参照しながら見ることができて便利です。
http://ktgis.net/kjmapw/index.html

東海道五十七次(その1)はこちらからご覧ください。


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