2016年8月11日木曜日

「浪華名所獨案内」について

 大阪くらしの今昔館の9階近世のフロア入り口付近にパネル展示している江戸時代天保年間の古地図「浪華名所獨案内(なにわめいしょ ひとりあんない)」については、以前から「古地図に見る「あさが来た」の舞台」「御堂筋と堺筋」「四ツ橋の昔と今」などのブログでも使用していますが、改めてこの古地図についてまとめてみることにします。

【概要】
 「天下の台所・大坂」(学習研究社)によると、「この地図は天保3(1832)年に、ある合薬屋が広告として作ったもの。近世大坂の名所や店舗が記されており、当時のにぎやかな市中の様子を知ることができる。」とあります。「なにわ名所ガイド」のタイトルで、この図が大きく掲載されています。「天下の台所・大坂」は住まい情報センターのライブラリーにも置いています。


浪華名所獨案内(友鳴松旭による図)




 図は、友鳴松旭(暁 鐘成による図もある)。書肆は、石川屋和助。
 一枚摺りの地図で、この地図一枚で大坂の観光を独りで楽しめるようになっています。
 地図の右中央に、「赤の色にて図中筋を引きたるは一遍通りの見物巡路なり。藍の色茶の色にて筋引きたる所これ皆同じ一遍通りの巡路と見るべし。」とあります。現在の観光ガイドマップのモデルルートと同様の手法が、200年近く前に既に使われていたことは驚きです。昔の人は健脚だったので、2泊3日で、3つのコースをめぐれるという仕掛けになっています。
 暁 鐘成による図には、図中の筋は引かれていますが、説明文はありません。

浪華名所獨案内(暁鐘成による図)


【構図】
 この図は、東を上に描かれており、海から眺めた大坂のまちの姿になっています。
 図の上部の左寄りに、御城が大きく描かれ、そこから右方向に森ノ宮・イナリ社・高津宮・生玉社・キヨミズ・四天王寺・一心寺などの上町台地の寺社が、図の右端には、今宮村、戎社、天下茶屋、住吉の文字が見えます。背景には、左から生駒山、二上山、葛城山、金剛山が描かれています。

【水の都】
 図の横方向(南北)に水色で、上から東横堀、西横堀、木津川が、縦方向(東西)に、左から大川、長堀、道頓堀が描かれています。大川は、土佐堀川、堂島川と、蜆川(明治の北の大火の後埋められ現在は無い)に分かれています。
 西横堀から西へ木津川との間には、江戸堀、京町堀、阿波座堀、立売堀が並んでいます。
 多くの橋の名称も記されており、水の都の様相がよく現れています。


浪華名所獨案内に見る「水の都」


 東横堀と西横堀の間が中心市街地で、長堀よりも北側(左側)の大川までが「船場」、南側の道頓堀までが「島之内」と呼ばれていました。東横堀より東側は「上町」、西横堀より西側は「西船場」「堀江」と呼ばれていました。
 長堀と西横堀が十字にクロスする所に橋が4つ架かっていて「四ツ橋」と呼ばれ、夕涼みの名所だったそうです。
 4つの橋にはそれぞれ名前があり、
上繋橋(かみつなぎばし)西横堀川に架かる北の橋。
下繋橋(しもつなぎばし)西横堀川に架かる南の橋。
炭屋橋(すみやばし)長堀川に架かる東の橋。島之内西端の旧町名「炭屋町」に由来。
吉野屋橋(よしのやばし)長堀川に架かる西の橋。北堀江東端の旧町名「吉野屋町」に由来。
となっていました。
 江戸時代中期の俳人小西来山の句「涼しさに 四ツ橋を四ツ わたりけり」が有名で、長堀通の中央部に句碑が建っています。
 現在では、大川、土佐堀川、堂島川、木津川、道頓堀、東横堀(いわゆるロの字の水路)を残して、ほとんどの堀が埋立てられています。

【まちの姿】
 道路を見ると、図の中央部南北(横方向)に、堺筋通り、心斎橋通りが描かれ、長堀橋、日本橋、心斎橋、戎橋の名前も見えます。この2本の道が、船場、島之内を突き抜けるメインストリートになっていた様子がよくわかります。(この図では、南北の道も「通り」と表記されています。東西の「スジ」もいくつか見られ、当時は、東西は通り、南北は筋という明確な使い分けは無かったようです。)

 東西(縦方向)の通りを見ると、伏見町、道修町、淡路町、安土町、本町、久宝寺町、順ケイ町などの名前が見えます。通り名は入っていませんが、今バシ、カウライバシ(高麗橋)、シアンバシ、ノウニンバシ、安堂寺バシ、九ノ介バシ、瓦ヤバシといった橋の名前が書かれています。


船場・島之内周辺


【天下の台所】
 名所・名店についてみると、
赤いラベルで、御城と銅吹屋、平五・天五・鴻池・加嶋屋といった両替商。
茶色のラベルで、スルガヤ、玉露堂、虎屋饅頭、ウルユス店、コシヤウシ円、古梅園などの名店。
黄色のラベルに赤い紋章入りで、升屋岩城呉服店、三井呉服店(後の三越)、小橋屋呉服店、松屋呉服店(現在の大丸)が目立っています。
現在も残っている名店も多くあります。
 黄色のラベルはたくさんありますが、ざっと見ると、東御奉行所・西御奉行所、天満宮、四天王寺、住吉、西御堂・東御堂(方角では北・南ですが)、川沿いに八ケン家、青物市場・雑喉場魚市場、金相場、御蔵、道頓堀に沿って竹田・若太夫・角・中・筑後の浪花五座、周辺部には曽根崎新地・高津新地・難波新地など、多数の名所や地名が記されています。
 中之島や西天満には蔵屋敷多し、堂島には米市場の文字が見えます。
 堀川の水運に支えられ、天下の台所として栄えた商都大坂のにぎわいが伝わってきます。
 この地図で、西御堂、東御堂となっているのは、西本願寺別院(津村御堂)、東本願寺別院(難波御堂)だからのようです。方角による位置関係よりも建物の由来からそのように呼ばれていたようです。この地図では東が上に描かれていますから、ちょうど京都の西本願寺、東本願寺と同じような並びになっています。御堂筋の名前は西本願寺派の「北御堂」と、東本願寺派の「南御堂」が沿道にある事から名付けられています。この地図の当時の御堂筋は、淀屋橋筋とは西に少しずれており、どちらも幅6mほどの狭い道に過ぎなかったのですが、1920年に市長となった關一によって、地下鉄の建設とセットで44mと大幅な道路拡張がほどこされ、一躍大阪を代表する道路へと様変わりしました。

【雑誌「大阪人」の最終号での紹介】
 『浪華名所独案内』については、本渡章さんが一冊丸ごと編集を担当された古地図の大特集、雑誌「大阪人」の最終号「古地図で歴史をあるく」のP24,25に 《古地図入門-3【名所図】名所めぐりモデルコース付き、必携!浪華観光ガイドマップ。》 として紹介されています。

大阪人最終号 古地図で歴史をあるく


 本渡さんの解説には、「通り」と「筋」の使い分けの話題があります。
《この図では、谷町通、松屋町通、心斎橋通など南北の道を通り、平野町スジ、淡路町スジなど東西の道をスジと呼んでいるところが多く現在と逆になっている。東西でも本町通があったり、堺筋通のように両方ついていたりする。当時は使い分けに一貫性はない。明治初期に、行政が東西を「通り」、南北を「筋」と定めた経緯については、大阪城へ向かう東西の道を本通りとし、南北を横道として筋としたからという。これにも異説があって、結論ははっきりしない。》とあります。

【船場】
 街区は基本的に40間四方の正方形で、街路は碁盤目状に直交しています。大坂城の西に位置することから東西方向が竪(たて)となり、東西方向の街路を通(とおり)と称しています。計23本あり、当初の幅員は4.3間に設定されていました。一方、南北方向は横(よこ)となり、南北方向の街路を筋(すじ)と称しています。計13本。当初は補助的な街路とされたために幅員は3.3間と通に対して狭く設定されていました。

 町割りは基本的に通に沿った両側町で、東から丁目数にして5程度の町が多かったです。ただし、西横堀筋は全て南北方向の横町割りで、渡辺筋や御霊筋にも横町割りが見られました。明治以降に通と筋の主従関係が逆転したが、東西方向の竪町割りは依然健在で、平成以降は竪町割りに統一されています。なお、現在の町名では「町」は全て「まち」と読みます。

船場付近


【島之内】
 島之内を見ると、堺筋と心斎橋筋には、長堀、道頓堀共に橋が架かっています。堺を経て和歌山に通じる堺筋の長堀橋と日本橋は幕府が管理する公儀橋ですが、心斎橋筋の心斎橋、戎橋をはじめ市内の大半の橋は町人が管理する町橋でした。大坂には公儀橋は12しかなく、多くが大坂城の周辺、特に京都に通じる北側に集中していました。
 三津寺や三つ八幡。舟宿、旅人宿多し。日本橋通、堺筋という。などの文字が見えます。
 住友銅吹屋、大丸呉服店が大きく描かれ、道頓堀の南には芝居の五座があります。「五つ櫓」とも言い、道頓堀を代表する劇場群で、近代に至るまで、歌舞伎や仁輪加(軽演劇)、人形浄瑠璃などが賑々しく興行されました。

島之内付近


【難波付近】
 高津新地の南には御蔵跡があります。かつてはこちらに御蔵がありました。千日、難波新地、日本橋通長町ト云などの文字が見えます。
 今宮村が大きく描かれています。今宮村から左(北)へ、戎社、廣田、御蔵とあります。江戸時代の幕府の御蔵は、その後大正時代には煙草専売局、昭和には大阪球場、平成にはなんばパークスになっています。
 御蔵に荷物を運んでいた水路(難波入堀川・新川)は、今は埋め立てられ高速道路となっています。それでも、やっぱり人や物を運んでいます。今宮戎は、昔も今も同じ場所で変わりません。


難波付近


【上町台地】
 上町台地は大阪のルーツともいえるところです。かつては、上町半島という形でせり出し、西は大阪湾、東は河内湖となっていました。半島の先端部には難波の宮があり、同じ場所に中世には大坂本願寺(石山御坊)が立地していました。織田信長に攻められて撤退し、その後、豊臣秀吉が大坂城を築城しました。夏の陣の後、徳川氏によって豊臣大坂城は埋め立てられ、その上に徳川大坂城が建てられました。現在の天守閣は、徳川大坂城の天守台の上に、豊臣大坂城をモデルにした鉄筋コンクリート造の天守閣が昭和6年に市民の寄付によって再建されたものです。

 半島の中央部には、古くから住吉大社が立地。水運の神様として、遣隋使、遣唐使を送り出しました。難波の宮と住吉大社の中間には、聖徳太子が四天王寺を建立。瀬戸内海から都を目指す船からは、五重塔が目標としてそびえていたと思われます。


上町台地南


上町台地北


 上町台地の地形は、国土地理院の標高地形図を見れば一目瞭然です。かつて半島のようになっていたことがよくわかります。昔からの陸地なので地盤は固く、東側に比べ西側が急斜面になっています。

 浪華名所獨案内からは少し脱線しますが、この標高地形図は大坂の歴史と地形の関係を調べる際に役に立ちます。

 例えば、2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」の舞台を例に挙げてみると
・「真田丸」はなぜ大坂城の南側に作られたのか?、
・なぜ長原~平野や道明寺が大坂冬の陣の戦場になったのか?、
・徳川方の本陣はなぜ茶臼山と岡山(現在の勝山)に置かれたのか?、
・夏の陣の際になぜ茶臼山が幸村最期の地になったのか?、
すべてこの地図にその謎が隠されています。
 ヒントは、現在の大和川は江戸時代になって開削されたもので、それ以前は河内平野を北上して大坂城の北側を流れていたことです。

・古代難波宮が上町台地に置かれ、奈良・飛鳥への道は東ではなく南東へ向かっていたこと、
・大坂本願寺(石山御坊)が上町台地の北端に置かれ、織田信長が本願寺攻めに執拗にこだわったこと、
・豊臣秀吉が信長の遺志を引き継いでここに大坂城を築いたこと、
といったこともこの地図からわかります。

国土地理院 標高地形図


 また、地図ぶらり部で公開されている「台地を探して -浪花百景で物見遊山-」には、高低差が色分けで表示されていて、浪花百景が描かれた地点がわかるようになっています。この地図を見ると上町台地の東側はゆるい傾斜、西側は絶壁になっていること。絶壁のところに景勝地が多く、浪花百景の舞台にもなっていることがよくわかります。

台地を探して-浪花百景で物見遊山-


 2015年12月のオープン台地では、大阪くらしの今昔館主催のイベントとして、上町台地の天王寺区から中央区にかけて、四天王寺から空堀辺りまでを歩きました。浪華名所獨案内に載っている、四天王寺、ウカムセ、アイゼン、カリウヅカ、梅ケ辻、妙法松を訪ね、谷町筋と上町筋の間にあった南平野町、北平野町を歩きました。
 南北平野町は大坂城と四天王寺を結ぶ線上に位置していて、秀吉の命により平野郷の住民が移住した場所です。地図には、南北平野町の名前はありませんが、現在の松屋町筋、谷町筋、上町筋が描かれていて、それぞれ松ヤ町通、谷町通、八丁目寺町通トモ云と書かれています。松屋町筋と谷町筋の間に高低差があり、天王寺七坂と呼ばれる坂があります。



オープン台地イベント 「浪華名所獨案内」をたどるまち歩き


 浪華名所獨案内についてもっと詳しく学びたい方には、大阪商業大学商業史博物館が編集・発行しておられる「新OSAKA漫歩」がお勧めです。約100ページの本が丸ごと浪華名所獨案内の解説になっています。


新OSAKA漫歩(大阪商業大学商業史博物館)


 パソコンやスマホで浪華名所獨案内をご覧になりたい方は、ちずぶらり部の公開地図が便利です。スマホ、タブレット、パソコンをご利用の方は、地図を選んで右上のマークをクリック・タップすると、取り込むことができます。一度お試しください。こちらからどうぞ
http://alpha3.chizuburari.com/maps

 浪華名所独案内は、大阪市立中央図書館のライブラリーからもダウンロードできます。画像は少し荒いですが、色はきれいです。
http://image.oml.city.osaka.lg.jp/archive/detail.do;jsessionid=65C994B313F195B5102A3CD39A0A4FE4?&oml=0000369376&id=29425

 古地図を見ながらのまち歩き、ブラタモリの気分で楽しんでみませんか。
 本ブログで使用した地図は、二つ井戸津の清さん、ちずぶらりさん、国土地理院さんからお借りしました。

 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。
「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。≫http://www.sumai-machi-net.com/
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