2019年3月19日火曜日

今週の今昔館(155) 長柄三頭 20190319

今週の今昔館(155)を掲載しました。

http://konkon2001.blogspot.com/2019/03/blog-post_19.html

〇浪花百景に見る江戸時代の大坂(60)では、「長柄三頭」をご紹介しています。

〇企画展「モダン都市大阪の記憶」開催中です
 2019年3月2日(土)~4月7日(日)

〇3月23日(土)、24日(日)は「彼岸の屋台」
 「のぞきからくり」や「宝引き」など・・
 お祭りは大人も子どもも楽しめます

〇今週のイベント・ワークショップ

2019年3月3日日曜日

今週の今昔館(152) 堀川備前陣屋 0190226

今週の今昔館(152) 堀川備前陣屋 0190226:

〇浪花百景に見る江戸時代の大坂(57)  今回は、「堀川備前陣屋」をご紹介します。

 ■堀川備前陣屋(芳雪画)  天満地域を南北に貫いていた天満堀川は、北は扇町公園付近で行き詰まりになっていましたが、天保9年(1838)北東方向に延長されて大川につなげられました。 ...

〇企画展「見て、さわって、調べよう。昔のくらし」終了しました。多くの皆様のご来場ありがとうございました。


〇次回の企画展は「モダン都市大阪の記憶」

 2019年3月2日(土)~4月7日(日)


〇今週のイベント・ワークショップ

http://konkon2001.blogspot.com/2019/02/blog-post_26.html

2019年2月19日火曜日

今週の今昔館(151) 北妙見堤 20190219

今週の今昔館(151)を掲載しました。

〇浪花百景に見る江戸時代の大坂(55)では、「北妙けん堤」をご紹介しています。

〇企画展「見て、さわって、調べよう。昔のくらし」開催中。
 2月22日(金)まで。毎週火曜日は休館日です。残りわずかとなりました。

〇今週のイベント・ワークショップ

https://konkon2001.blogspot.com/2019/02/blog-post_19.html

2019年2月12日火曜日

今週の今昔館(150) 天満樋ノ口 20190212

今週の今昔館: 今週の今昔館(150) 天満樋ノ口 20190212:


今週の今昔館(150)を掲載しました。

〇浪花百景に見る江戸時代の大坂(55)では、「天満樋の口」をご紹介しています。

〇企画展「見て、さわって、調べよう。昔のくらし」開催中。
 2月22日(金)まで。毎週火曜日は休館日です。残り少なくなってきました。

〇今週のイベント・ワークショップ

konkon2001.blogspot.com/2019/02/blog-post_12.html

2018年2月4日日曜日

京都図絵(大礼記念京都大博覧会)

 大正から昭和にかけて活躍した鳥瞰図絵師で、生涯において3000点以上の鳥瞰図を作成し「大正広重」と呼ばれた吉田 初三郎(よしだ はつさぶろう、1884年3月4日~1955年8月16日)氏の作品から、今回は、昭和3年(1928)に出版された「京都図絵(大礼記念京都大博覧会)」をご紹介します。

昭和3年(1928)に昭和天皇即位大礼を祝して「大礼記念京都大博覧会」が開催されました。従来の岡崎公園に加え,二条城横の京都刑務所跡地,および恩賜京都博物館の3か所が会場にあてられました。入場者数は約318万人。


 この絵図は、大礼記念京都大博覧会事務局が出版者となり、会場案内図を兼ねて作成されたものです。


 横長の地図ですので、東から西へ3枚に分けて紹介します。
 1枚目は、琵琶湖から大博覧会東会場(岡崎公園)にかけて。初三郎氏の鳥瞰図は独特のデフォルメが特徴で、必ずと言っていいほど富士山が描かれています。この地図にも、遠景として地図の右上の名古屋と東京の間に、富士山が描かれています。
 東会場の周りには琵琶湖疎水が描かれ、北側には平安神宮、銀閣寺、大文字山、根本中堂が描かれています。
 疎水を挟んで南側、京都駅の北東には大博覧会南会場(恩賜京都博物館)があります。会場への交通機関ともなる市電が縦横に走っています。
 背景には、比良山や伊吹山も描かれています。


 2枚目は、鴨川から大博覧会西会場(京都刑務所跡地)にかけて。二条駅のすぐ前に、こんなに大きな刑務所があったことも驚きです。西会場の右手(東)には二条城、御所、下鴨神社、宝池があり、手前(南)には、東西の本願寺が描かれています。 
 背景には、比叡山や鞍馬山が描かれています。


 3枚目は、大博覧会西会場(京都刑務所跡地)から嵐山にかけて。
 嵐山付近を見ると、渡月橋、中之島公園、天龍寺、清凉寺から大覚寺、大沢池、廣沢池、小倉山から清滝まで描かれています。
 背景には鞍馬山、高尾山と愛宕山。さらに、愛宕山の左を見ると、初三郎流のデフォルメで、保津川下り、亀岡、綾部、福知山から松江が描かれ、下関に至るとあります。日本海も描かれています。地図の左下には、大阪、神戸、宝塚も描かれています。


 初三郎と同時代には彼の作品を模した鳥瞰図作家が多数いましたが、初三郎作品には模倣作との決定的な違いがありました。それは彼が鳥瞰図製作の際に該当地の風土や歴史を事前に調査し、さらに現地に入って踏査写生および取材を行っていたことです。全国各地で現在有名になっている観光名所、景勝地には初三郎が踏査取材中に見いだし作品中で発表した所も少なくありません。

 この絵図も細部にわたってきめ細かく描かれています。工業化と勧業政策の目的が一応の到達を見たことから、大正末頃をピークに博覧会への熱は全国的に衰退していきました。京都の地理歴史に詳しい方の、コメント、ご意見をよろしくお願いします。地図は、京都府立京都学・歴彩館、京の記憶アーカイブからお借りしました。

2017年11月18日土曜日

大大阪観光地図と最新大大阪市街地図

 大正13(1924)年発行の「大阪市パノラマ地図」には、大大阪時代に入る直前の大阪の様子が描かれています。それからの約10年間で大阪は大きく変貌します。昭和12(1937)年には、「大大阪観光」という映画が、大阪市電気局と大阪市産業部によって制作されました。
 その時代の大阪の様子が分かる地図を探していると、国際日本文化研究センター(日文研)所蔵の地図の中に、「大大阪観光地図(以下、観光地図)」という名称の地図がありました。大阪市産業部の版本となっています。発行年月日は明確に書かれていませんが、地図に描かれている情報(例えば、昭和12年3月オープンの電気科学館が掲載されていること)や、裏面の地図に昭和11年5月29日由良要塞司令部検閲済とあることなどから、昭和12年ごろの発行と推定されます。パノラマ地図のような鳥瞰図ではありませんが、観光名所などには絵が描かれています。
大大阪観光地図(国際日本文化研究センター蔵)
 日文研の地図データベースには、この地図と近い時期に発行された地図として、昭和10年発行の「最新大大阪市街地図(以下、市街地図)」があります。こちらは、和楽路屋の版本です。2つの地図を見比べると面白いことが分かります。
最新大大阪市街地図(昭和10年:日文研蔵)
 市街地図では、行政区別が分かりやすいように色分けがされ、観光地や重要地名は「赤丸」をベースにして白抜きの文字で目立つようにしています。一方、観光地図を見ると、主な観光地や重要建物に挿絵が挿入され、それが目立つように市街地図の「赤丸」は消されて、赤い枠の中に赤い文字で表示されています。行政区別の色分けは無くなり、すべて白地になっています。これも挿絵が目立つようにするためと考えられます。

 具体例として、梅田付近を見てみましょう。まず、市街地図です。

昭和10年大大阪市街地図の梅田付近
 次に、観光地図の梅田付近です。
大大阪観光地図の梅田付近
 2つを見比べてみて、いかがでしょうか?下地の地図や文字は両者共通で、違っているのは、「赤丸」が消されて「赤枠」に代わり、挿絵が入っていることがわかります。
 観光地図の「阪神電車」の左側を見ると、路線の赤線が一部消えています。阪神の「赤丸」を消した痕と思われます。
 市街地図の「阪急」と「地下鐵」の「赤丸」は、観光地図では消され、阪急百貨店の挿絵が描かれています。堂島の毎日新聞社にも挿絵が付いています。

 次に、2つの地図の凡例を見比べてみましょう。

昭和10年大大阪市街地図の凡例
大大阪観光地図の凡例
 いかがでしょうか?凡例も両者共通であることがわかります。枠の外のインデックスも共通で、観光地図も市街地図と同じく「和楽路屋」のベースマップを利用していることがわかります。
 凡例の左上を見ると、市街地図には「和楽路屋」の奥付がありますが、観光地図では削除されています。観光地図は大阪市産業部の制作なので、消されているものと思われます。


 以上のことから、観光地図は、昭和10年発行の和楽路屋の大大阪市街地図をベースにして、観光名所に挿絵を入れて分かりやすくしたもので、映画「大大阪観光」の制作者と同じ「大阪市産業部」が「和楽路屋」に依頼して作成したものであると考えられます。
 大阪市パノラマ地図が発行された大正13年から、大大阪時代に入って大きく変貌していく大阪市の姿を見比べるうえで、約10年後の姿を描いた「大大阪観光地図」は挿絵があって分かりやすい地図ということもあり、大変便利な地図といえるでしょう。今後、活用していきたいと思います。

2017年10月25日水曜日

大神戸市を中心とせる名所鳥瞰図絵

 吉田 初三郎(よしだ はつさぶろう、1884年3月4日~1955年8月16日)氏は、大正から昭和にかけて活躍した鳥瞰図絵師。生涯において3000点以上の鳥瞰図を作成し、「大正広重」と呼ばれました。

 初三郎と同時代には彼の作品を模した鳥瞰図作家が多数いましたが、初三郎作品には模倣作との決定的な違いがありました。それは彼が鳥瞰図製作の際に該当地の風土や歴史を事前に調査し、さらに現地に入って踏査写生および取材を行っていたことです。全国各地で現在有名になっている観光名所、景勝地には初三郎が踏査取材中に見いだし作品中で発表した所も少なくありません。

 今回は、昭和5(1930)年に出版された神戸市の地図を取り上げます。
 横長の地図ですので、東から西の順に4枚に分けて紹介します。
 1枚目は、大阪から灘にかけて。
 初三郎氏の鳥瞰図は独特のデフォルメが特徴で、必ずと言っていいほど富士山が描かれています。この地図にも、遠景として名古屋と東京の間に、富士山が描かれています。

 大阪と神戸の間には、北から順に、阪急神戸線、官鉄の東海道線、阪神国道線、阪神本線の4本の鉄道が描かれています。官鉄には蒸気機関車が走っています。大物~千鳥橋の阪神西大阪線(現在のなんば線)もちゃんと描かれています。
 背景には、六甲山と摩耶ケーブルが描かれています。

 2枚目は、灘から元町にかけて。
 阪急は、上筒井止まりで、そこから市内中心部へは神戸市電を使います。
 官鉄は灘から西は高架線で、当時は珍しかったためか、高架線がリアルに描かれています。灘で分岐して、貨物線が神戸港まで通っています。阪神は、春日野を経て、三ノ宮まで乗り入れています。
 背景には、摩耶山と布引の滝、神戸山、錨山が描かれています。
 3枚目は、神戸から兵庫にかけて。
 当時は、この辺りが中心街で、官鉄の高架線も兵庫の西まで続いています。市電が、東西南北、きめ細かく走っていることがよくわかります。
 和田岬、兵庫港には、たくさんの船が描かれています。
 背景には、再度山、烏原貯水池が描かれています。
 4枚目は、西の端で、 摩耶から須磨にかけてが描かれています。官鉄と神戸電鉄のほかに、市電が須磨まで通っています。背景には高取山。
 初三郎流のデフォルメで、明石から姫路、岡山、廣島、下関、左手には、淡路島、四国、九州、その先には、釜山、朝鮮が描かれています。
 手前に海、背景に山という、初三郎が最も得意とする構図で、細部にわたってきめ細かく描かれています。神戸の地理歴史に詳しい方の、コメント、ご意見をよろしくお願いします。地図は、京都府立京都学・歴彩館、京の記憶アーカイブからお借りしました。