2016年8月11日木曜日

島之内の通と筋と町の名前の考察

〇島之内(しまのうち)とは
 大阪市中央区の地域名および町名。東を東横堀川、南を道頓堀川、西を西横堀川、北を長堀川に囲まれた(囲まれていた)地域で、人工の堀川開削によってできた島の内側であることから島之内と呼ばれました。 
東横堀川:1585年もしくは1594年完成。現存。阪神高速1号環状線南行きの高架。 
道頓堀川:1615年完成。現存。 
西横堀川:1617年完成。1962年埋立。阪神高速1号環状線北行きの高架。 
長堀川:1622年完成(既存の小河川を拡幅したとも言われる)。1964年埋立(四ツ橋以西は1970年埋立)。長堀通。 
 それぞれの堀川を挟んで、東は上町、南は道頓堀、西は堀江、北は船場に接しています。1615年、大坂夏の陣後に復興が始まり、19世紀後半には、24町もの茶屋御免の町がありました。
 北部は船場とともに城下の中枢をなす職人町、南部は道頓堀とともに遊里が点在する色町を形成し、船場の「商いどころ」に対して「粋どころ」と呼ばれました。異名は「ミナミ」「江南」「南江」「南州」「南陽」「陽台」「崎陽(きよう)」と多数ありました。つまり「ミナミ」とは元々、島之内のことを指す名称でした。

〇島之内の街並み
 船場と同じく、街区は基本的に40間四方の正方形で、街路は碁盤目状に直交しています。必ずしも東西方向の街路を通(とおり)、南北方向の街路を筋(すじ)と称さない点や、東西方向の竪町割りより南北方向の横町割りが多い点が船場との大きな違いです。おおむね周防町筋以南は飲食店が集中する歓楽街となっています。

〇島之内の主な通・筋

東西方向(北から南の順)

長堀通(末吉橋通) - 厳密には船場に含まれる
鰻谷北通(鰻谷上之町通)
鰻谷南通(鰻谷中之町通)
大宝寺通(いちょう通り)
清水町筋(清水通)
周防町筋(ヨーロッパ通り)
八幡筋
三津寺筋(三ツ寺筋)
新屋敷筋
宗右衛門町通 - 御堂筋以西は久左衛門町通 

南北方向(東から西の順)

問屋町筋(安綿橋筋)
竹屋町筋
板屋橋筋
鍛冶屋町筋
堺筋(長堀橋筋) - 日本橋筋の呼称は道頓堀川以南
千年町筋(藤中橋筋)
玉屋町筋(中橋筋)
笠屋町筋(三休橋筋)
畳屋町筋(丼池筋)
心斎橋筋(はっ筋)- 戎橋筋の呼称は道頓堀川以南
御堂筋(国道25号)
佐野屋橋筋
炭屋町筋(炭屋橋筋)- 四ツ橋のひとつである東側の橋は炭屋橋

〇現在の住居表示
 昭和57(1982)年から堺筋以東において「島之内」の住居表示が実施されました。また、平成元年(1989年)から御堂筋以西において「西心斎橋」、畳屋町筋~堺筋間において「東心斎橋」の住居表示が実施され、同時に、既存の「心斎橋筋」と「宗右衛門町」もそれぞれ町域が拡大されました。宗右衛門町を除き、それぞれ周防町筋以北が1丁目、以南が2丁目となっています。
 これにより、北炭屋町・南炭屋町・鰻谷西之町・鰻谷中之町・鰻谷東之町・大宝寺町西之丁・大宝寺町中之丁・大宝寺町東之丁・西清水町・東清水町・周防町・八幡町・三津寺町・久左衛門町・畳屋町・笠屋町・玉屋町・千年町・長堀橋筋・鍛冶屋町・南綿屋町・竹屋町・問屋町・大和町の町名が消えることとなりました。以上、ウィキペディアを参考にさせていただきました。
 町家衆の湯川さんから『大阪春秋』#133心斎橋・島之内特集号の情報をいただきました。わかりやすい図が掲載されていましたので、転載させていただきます。

町名変更前の島之内地区略図(大阪春秋#133より)
いまの島之内地区略図(大阪春秋#133より)

〇島之内の通と筋と町の名前についての考察
 明治28年(1895年)発行の大阪市明細地図を見ると、北船場、南船場、島之内の通と筋の名前。町名、橋の名前がきっちりと書かれています。島之内について見てみると、心斎橋筋より東側の南半分だけが、南北の筋に沿って町名が記されています。名前も手工業の業種(畳屋、傘屋、玉屋、鍛冶屋、綿屋、竹屋)が多い点が特徴です。島之内は住居表示の変更で、島之内、心斎橋筋、東心斎橋、西心斎橋に統合され、残っている町名は、宗右衛門町だけになっています。

明治28年(1895年)発行の大阪市明細地図の島之内

 大正13(1924)年発行の大阪市パノラマ地図の島之内です。
 船場では、東西の通りがメイン、南北の筋がサブで、町名はホンマチ、ヒラノマチなど通りの名前となっていますが、島之内ではちょっと様子が違います。

大阪市パノラマ地図の島之内

 島之内の東半分を見ると、北側ではウナギダニヒガシ、ダイホージマチヒガシと東西の通に名前が表示されていますが、それより南の通には名前がありません。
 南北の筋について、東横堀から西に向かって、筋に記されている文字をたどると(右下から左上へ読みます)、トイヤマチ、タケヤマチ、ミナミワタヤマチ、カジヤマチ、ナガホリバシスジ(堺筋)、チトセ丁、タマヤ丁、カサヤ丁、タタミヤ丁・・・と書かれていて、〇〇スジではなく〇〇マチ、〇〇丁となっています。東西の道を見ると、はちまんすじ、の文字が見えます。マチと区別できるようにひらがな表記になっています。
 このように、島之内の東半分では、南北の筋がメインで町の名前になり、東西がサブでスジと呼ばれています。町の名前が手工業の職業名となっているものが多い点も特徴です。


大阪市パノラマ地図の島之内(東側の拡大)

 一方、心斎橋筋よりも西側は、北から順に、ウナギダニニシノ丁、ダイホージマチニシノ丁、ニシシミズマチ、スホマチ(周防町)、ハチマン丁、ミツテラ丁、キウザエモン丁(久左衛門町)と通りに町の名がついています。

大阪市パノラマ地図の島之内(西側の拡大)

 由来はよくわかりませんが、島之内の西と東とで町の作りが異なっている点は面白いと思います。船場では城と港を結ぶ東西の道がメインストリートで通、南北の道はサブで筋と明確でしたが、長堀よりも南の島之内では、特に東半分については南北の人の流れが多くなり、町も南北の道にそって形成されてきたとも考えられます。西半分は心斎橋筋から西方向への人の流れが多く東西の道がメインとなっていますが、ハチマンスジ、ミッテラスジのように「筋」で呼ばれている町がある点も興味深いです。

 提言としては、船場と同様の内容になりますが、通と筋の名前を復活し、交差点ごとに表示することが、地域への愛着を高めることにもつながるように思います。
 住居表示では、大くくりに「島之内」「心斎橋筋」「東心斎橋」「西心斎橋」にまとめられましたが、繁華街ということもあって、「ミッテラ」や「八幡筋」、「千年町」、「鰻谷」など、よく耳にする地名もあります。これをうまく島之内全体に拡げることができれば地域振興にも役立つように思います。

 名前は「通」ではなく「筋」だけれども、メインストリートとなって町を形成している道として代表的なものは、心斎橋筋や堺筋(長堀橋筋、道頓堀よりも南は日本橋筋)があります。
 大川よりも北では、天神橋筋、天満橋筋も南北の筋に沿って町が形成されています。〇〇橋筋〇丁目という地名が1丁目から2丁目・3丁目の方向に町が形成されてきたことを表しているのではないでしょうか。
 大阪城の南方面でも、谷町筋、上町筋に沿って町が形成されていて、名前に「筋」は付きませんが、谷町〇丁目、上本町〇丁目と呼ばれています。


 大阪くらしの今昔館8階の近代のフロアに、大阪市パノラマ地図を拡大して床面に展示していますので、じっくりとご確認ください。

大阪くらしの今昔館の近代のフロア


 大阪市パノラマ地図についてはこちらをどうぞ。

 御堂筋と堺筋についてはこちらをどうぞ。

 船場についての考察はこちらからどうぞ。


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