2016年8月11日木曜日

熊野街道ちょっと散歩(第6回)

 熊野街道ちょっと散歩、今回は前回のゴール地点の楠通りから、北平野町、南平野町を抜けて四天王寺に向かいます。
 今回の地図は、明暦3(1657)年発行の「新板大坂之図」および元禄4(1691)年発行の「新撰増補堂社仏閣絵入諸大名御屋敷新校正大坂大絵図」を使用します。北平野町・南平野町は、大坂城築城の際に大坂城と四天王寺、堺を結ぶ線上にある上町台地に、豊臣秀吉が平野郷から町人たちを呼び住まわせた地域ですが、その後船場の開発と寺町の整備に伴って、町人たちは船場に新しくできた平野町に再度移転したといわれています。古い地図でこのあたりがどのように描かれているかを見てみましょう。



 明暦3年の新板大坂之図では、大坂城と四天王寺の間は大半が寺社と田畑になっていますが、青丸で示した南北平野町(熊野街道)沿いには「町」という表示があります。
明暦3(1657)年発行の「新板大坂之図
 元禄4年の新校正大坂大絵図では、大坂城よりも大きく四天王寺が描かれており、その間には武家屋敷と寺社の名前が記されています。空白のところは田畑と思われますが、青丸で示した南北平野町(熊野街道)沿いには家の絵が描かれています。拡大した地図で見ると、四天王寺に近い南寄りには家が描かれてなく、農地に変化していっていることがわかります。どちらの地図も、北平野町・南平野町は他の地域とは違った表記となっています。
元禄4(1691)年発行の「新撰増補堂社仏閣絵入諸大名御屋敷新校正大坂大絵図
新撰増補堂社仏閣絵入諸大名御屋敷新校正大坂大絵図」(拡大)

 南北平野町については、内田九州男先生の研究成果が「まちに住まう-大阪・都市住宅史」に掲載されています。ここでは南北平野町の町割復元図を引用させていただきます。大坂城と四天王寺の間に北から、北平野町1~8丁目、南平野町9~11丁目の町割が復元されています。
南北平野町の町割復元図

 これから歩く南北平野町は、北と南で現状が大きく異なっています。その大きな理由として、戦災による被害状況の違いがあります。昭和23年に米軍によって撮影された航空写真で見てみましょう。黒っぽく屋根の写っている所は焼失を免れたところ、白っぽい部分は戦災によって焼失したところです。四天王寺の中心伽藍など南部分が焼失していることもわかります。
北平野町の航空写真(昭和23年、米軍撮影)
南平野町・四天王寺の航空写真(昭和23年、米軍撮影)

 前置きが長くなりましたが、それでは、道路の真ん中に楠木大明神がある楠通りから歩き始めましょう。北平野町を南へと進みます。北平野町は北から順に1丁目、2丁目となっており8丁目までありました。1丁目付近は戦災を免れていますので、古い町家が残っています。正面遠方にあべのハルカスが見えています。
 うだつのあがっている町家や袖壁のある町家、トンネル路地のある町家が見られます。ちょうちん屋さんがあるのも独特の雰囲気です。奥に見事な大木が覗いている路地もありました。

北平野町1丁目、南を望む、正面にあべのハルカス
北平野町の町家
トンネル路地もあります
ちょうちん屋さん(秋村泰平堂)
路地の奥に大木が覗いている

みごとな大木
 しばらく進み後ろを振り返ると、正面にNHK大阪放送局が見えています。進行方向前方のあべのハルカスはだいぶん近づいてきました。
 北平野町の西側には寺町があります。お寺やお墓にお供えの花を届ける花屋があり、井戸水をくみ上げているとのことでした。筋向いには浪華名所獨案内に妙法松が描かれている妙法寺がありました。残念ながら現在は松は残っていません。北平野町に戻り南に進みます。
後ろを振り返るとNHK大阪放送局
正面のあべのハルカスが近づいてきた
井戸のある花屋さん
妙法松のあった妙法寺
北平野町の民家
浪華名所獨案内の南北平野町・四天王寺付近

 千日前通の1本北側の道を西に入ると、谷町筋のアンダーパスの上に梅ヶ辻橋が架かっています。梅ヶ辻は浪華名所獨案内にも描かれています。橋の下には川は流れていませんが、橋の名前として昔の地名が継承されています。
 谷町筋を谷町九丁目交差点まで進みます。千日前通に面して防災建築街区のUR市街地住宅が建っています。昭和30年代後半に建てられた複合ビル(下駄ばき住宅)群です。

梅ヶ辻橋
梅ヶ辻橋
橋の下はアンダーパスの道路
防災建築街区(UR市街地住宅)
 谷町筋を渡り北平野町を南へ進みます。左手に大阪市立生魂小学校があります。公立の小学校としてはユニークな建物です。
さらに進むと上汐町公園に出ます。公園の東側には国際交流センターがあります。かつて大阪外国語大学のあったところです。

大阪市立生魂小学校
上汐町公園、奥は国際交流センター
国際交流センター

 さらに南へ進むと右側にクレオ大阪中央があります。このあたりは南平野町になりますが、戦災を受けた地域で古い建物はあまり残っていません。

クレオ大阪中央
南平野町に残る数少ない寺院

 南へ進むと天王寺警察署の前で行き止まりになりますので、右に曲がり谷町筋に出ます。西側をみると正面に勝鬘院の多宝塔が見えています。谷町筋との交差点には地下鉄谷町線の四天王寺前夕陽丘駅があります。ここからは四天王寺の参道を進みます。少し進むと左手に小学校の門があります。大阪市立大江小学校です。
勝鬘院多宝塔
地下鉄四天王寺前夕陽ヶ丘駅前、四天王寺参道
駅前にある案内板
大阪市立大江小学校

 さらに南へ進むと四天王寺乾門があります。門をくぐると墓地があり、正面に元三大師堂が見えています。本堂の前にはちえの輪くぐりが置かれていました。
四天王寺乾門
元三大師堂
ちえの輪くぐり

 本堂の前を右に曲がり南に出たところに、安政地震津波碑があります。通路を挟んで向かいには地蔵堂があり、お堂の中には逢坂清水の井戸が移設されて残っています。
安政地震津波碑
安政地震津波碑解説
地蔵堂
地蔵堂内部
逢坂清水の井戸
逢坂清水と融通地蔵の解説
 地蔵堂から東へ向かうと左手に大きなお堂があります。旧釣鐘堂で、釣鐘は戦時中に供出となり、現在は英霊堂となっています。
英霊堂(旧釣鐘堂)
英霊堂解説
 さらに東へ進むと中心伽藍が近づいてきます。有名な亀の池を囲んで、北側に六時礼讃堂、南側には北引導鐘堂、太鼓楼が建っています。太鼓楼の向こうには中心伽藍が見えています。亀の池から中心伽藍の東側を南へ進むと、本坊への入り口となる門がありました。
亀の池と六時礼讃堂
亀の池と北引導鐘堂
亀の池と太鼓楼
四天王寺本坊
 中心伽藍の東側を回廊に沿って南に向かいます。中心伽藍と太子殿の間に番匠堂があります。
 番匠堂の由来については、四天王寺のHPによると、
「聖徳太子は、日本に仏教を広められると共に、わが国に朝鮮半島・百済国より番匠と称される数多の名工を招請され、高度な建築技術を導入されました。このご事蹟をお慕いし、大工・建築技術の向上、工事の無事安全を願う建築に携わる人たちの間で聖徳太子がお祀りされるようになりました。
 「番匠堂」の周りに立っている「南無阿弥陀佛の幟」ですが、よく見ると名号(文字)の書体は、カナヅチ・ノコギリ・キリなどの大工道具で描かれています。平安~江戸時代に民衆の間で浄土信仰がブームでしたので、その時代に太子信仰と融合したものの名残ですね…。」
とあります。

番匠堂
南無阿弥陀仏石碑(大工道具)
番匠堂と幟(大工道具)
太子殿奥殿
 さらに南へと向かいます。太子殿への入り口となる寅之門があります。振り返ると太子引導鐘堂があり、中心伽藍の中の五重塔は現在耐震化の工事中です。
寅之門
四天王寺境内地図
太子引導鐘堂と耐震化工事中の五重塔

 さらに南へ進み南大門を抜けてお寺の外へ出ます。南大門、中門、五重塔、金堂、講堂が南北に一列に並ぶ四天王寺型の伽藍配置ですが、地上からでは南大門に隠れてしまいます。かろうじて五重塔の九輪が見えています。参考に国土地理院の航空写真で見てみましょう。

南大門

四天王寺の航空写真(国土地理院)

 もう一度お寺に戻り、南大門をくぐって西へ向かいます。春の大古本祭が開催中でした。西大門をくぐりさらに西に向かいます。西門の石の鳥居を抜けて、お寺の外に出ました。四天王寺は西門から入るのが一般的ですが、今回は北から入って逆ルートを廻ったような感じです。中心伽藍の中は、五重塔が工事中ということもあってパスさせていただきました。石の鳥居の脇にはマイルドHOPEゾーンの説明板がありました。
西大門から中心伽藍を見る(大古本祭開催中)
四天王寺境内地図と解説
石鳥居(西門)
西門(石の鳥居)脇のマイルドHOPEゾーンの説明板
 熊野街道に戻りさらに南へと向かいます。右手に有名な釣鐘饅頭屋さんがあります。釣鐘饅頭は供出されてしまった大きな釣鐘の完成を記念して作られたそうです。参道をしばらく南へ進むと、谷町筋と合流するところに熊野街道の案内石がありました。今回はルートどおり歩きましたので、これでいくつ目でしょうか?
釣鐘饅頭
谷町筋の熊野街道案内石
 谷町筋の東側はかつての四天王寺参道で、現在も歩道にアーケードのある商店街となっています。土産物屋や飲食店のほかに、植木屋や野菜や花の種を売る店があるのが面白いと思います。実益を兼ねた土産物だったのかもしれません。
 ようやくJR天王寺の駅前に到着です。正面には高さ300mのあべのハルカスがそびえています。交差点には、新設された屋根付きの歩道橋が架かっています。上から見るとアルファベットのスモールA(a)になっています。阿倍野の頭文字です。

天王寺駅前
あべのハルカス
阿倍野交差点付近の航空写真(国土地理院)
 今回は、榎木大明神から熊野街道の推定ルートにそって歩き、ようやく天王寺までたどり着きました。第6回はここまでとします。

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 第1回はこちらからどうぞ。

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