2016年8月11日木曜日

熊野街道ちょっと散歩(第7回)

 熊野街道ちょっと散歩第7回は、第6回の番外編になります。前半では四天王寺南大門から南へ庚申街道を歩きます。後半では装いも新たになった天王寺公園「てんしば」から、慶沢園、新世界を巡ります。

 今回の地図は、大正14年発行の大阪市街大地圖、大阪市の第2次市域拡張直後の地図です。赤い太線は区境で、天王寺区が大半を占めていますが、その南に住吉区、時計回りに西成区、浪速区、細長く飛び出している所は南区です。阿倍野区はまだ発足していません。
 天王寺区の「区」の左に庚申堂と庚申池、茶臼山の南には河底池が描かれています。新世界の北半分は通天閣から放射状に出る道路によって区画割りがされています。新世界の北側には高津堀川が描かれています。今回はこの辺りを散歩します。
 ブルーは前回歩いた熊野街道、オレンジは今回歩く庚申街道、地図左寄りのグリーンは紀州街道です。


大正14年発行の大阪市街大地圖にみる天王寺公園と新世界
 四天王寺南大門の前から、庚申街道を南へ進みます。国道を渡るとすぐに、竹本義太夫墓所の石碑が門の脇にあるお寺があります。超願寺です。中に入ると墓地の一角にお堂があり、脇に初代竹本義太夫の墓の解説板があります。竹本義太夫(たけもとぎだゆう、慶安4年(1651年)~正徳4(1714)年9月10日)は、江戸時代の浄瑠璃語りで、義太夫節浄瑠璃の創始者です。

四天王寺南大門遠景
竹本義太夫墓所(超願寺)

竹本義太夫墓所

初代竹本義太夫の墓の解説
 超願寺を出て庚申街道を南へ進みます。すぐに、庚申堂が見えてきます。庚申堂(こうしんどう)は、庶民信仰に支えられる名刹で、かつては四天王寺の境内の一部であったそうです。「庚申」は道教の影響を受けた信仰のひとつで、三尸(さんし)という虫に由来している。人間の体内には3匹の虫がいて、庚申(かのえのさる)の夜、眠っている人の体から虫が抜け出して、その人の罪や過ちのいちいちを天帝に告げるといわれています。
 大宝元年(701)正月庚申の日に、毫範という僧侶の前に青面金剛童子が現れ庚申の法を伝授したと伝えられます。
 えとの組み合わせで60日ごとにめぐってくる「庚(かのえ)」「申(さる)」の日にちなんだ信仰行事である庚申(こうしん)まいりの日には、境内にコンニャクの店が出て、庚申のコンニャクを北向きで食べると頭痛が治るとの言い伝えがあります。
 境内には木彫りの“見ざる・聞かざる・言わざる”を祀る『三猿堂』があり、庚申日には開帳されているそうです。建物も三猿像もまだ新しいです。百度石の頭にも三猿がいました。



庚申堂の朱塗りの門

庚申堂(百度石の上にも猿)

三猿堂

三猿堂の内部

 庚申堂の南向かいには、本清水(谷の清水)があります。現在も水が出ています。
本清水(谷の清水)

 西の方にガラス張りの大きなマンションが見えるので寄り道してみました。マンションに囲まれるように料亭まつむらが残っていました。マンションの玄関前にはゆったりとした緑地があり、奥には料亭まつむらの土蔵も見えています。

料亭まつむらが新築マンションに囲まれている
新築マンションの屋外、奥に料亭まつむらの土蔵

 庚申街道にもどり南へ進むと、JR天王寺駅に突き当たります。行き止まりかな?と思ったら右手に地下歩道があります。阪和線の下をくぐり、環状線と関西本線を跨線橋で跨ぐと、あびこ筋に出ます。

庚申街道が天王寺駅に突き当たる

右側に地下道があった

 庚申街道はビルの間を抜けて、ここからさらに南へと進みます。西へ向かうと左手にあべのハルカスがそびえています。正面にはあべの歩道橋が見えています。

庚申街道はビルの合間を抜けて南へ

左はあべのハルカスの足元、正面にあべの歩道橋

 JR天王寺駅を北へ抜けて、谷町筋を西へ渡ると天王寺公園に出ます。天王寺公園のエントランスエリアは、昨年2015年10月1日に「てんしば」の愛称でリニューアルオープンしました。
 2015年度から20年間にわたるパークマネジメント事業で近鉄不動産株式会社が運営しています。新しく生まれ変わった天王寺公園の象徴となる芝生広場を略称的に表わし、誰もが簡単に口にし親しみやすいということをコンセプトにしているそうです。


天王寺公園「てんしば」

 公園の一角には、第6代大阪市長池上四郎氏の銅像があります。この銅像は昭和10(1935)年、池上市長の功績をたたえ、大阪市民の手によって建立されました。太平洋戦争最中の昭和17(1942)年、金属供出により撤去されましたが、戦後の1959年6月に市政70周年を記念して再建されました。

池上四郎市長の銅像

 てんしばを後にして、北へ向かうと慶沢園があります。元は住友家の茶臼山本邸庭園として大正7(1918)年に完成したもので、大正14(1925)年に住友家本邸が神戸に移転したことで、隣接する旧本邸敷地、茶臼山とともに大阪市に寄贈されました。現在は、大阪市立美術館とともに天王寺公園の中に組み込まれ一般公開されています。近くには、旧黒田藩蔵屋敷長屋門も残っています。南を眺めると公園の向こうに、あべのルシアス、大阪市立大学医学部、同附属病院などのビル群が見えています。

慶沢園入り口

慶沢園

慶沢園の案内板

旧黒田藩蔵屋敷長屋門

天王寺公園、奥に阿倍野のビル群

 慶沢園から西へ進むと、大阪市立美術館の前です。旧住友本邸跡に昭和11(1936)年に開館したものです。正面から西を眺めると、上町台地の西側斜面を見下ろす展望です。右手に通天閣が見えています。
大阪市立天王寺美術館

天王寺美術館正面


美術館正面から西を見る、右手に通天閣

 階段を下りてプロムナードを西へ進みます。通天閣がだんだん近づいてきます。高速道路の下をくぐると新世界です。
プロムナードを西へ進む

洋画の新世界国際

 通天閣の足元近くまで来ました。展望台に上がるエレベーターも見えています。現在の通天閣は2代目で、昭和31(1956)年の建築です。昨年2015年6月に耐震改修工事が完了しました。初代通天閣のエントランスホールにあった中山太陽堂の天井画が復刻されています。
 通天閣の足元には、安倍総理も訪れ、店のおやじに「総理にお願いがございまして・・・、ソースの二度漬けは禁止です。」と言われたことで有名になった「串かつだるま」があります。
通天閣、展望台へのエレベーター

耐震改修で再現された天井画

安倍総理も訪れた串かつだるま

北から見る通天閣
 通天閣の下をくぐり、北へ抜けたところから振り返った通天閣です。熊野街道ちょっと散歩第7回は、ここで終了とします。今回のコースと高低差は次のルートマップの通りです。上町台地の西斜面を降りるところがよくわかります。約12mの高低差です。
今回のルートマップと高低差

 第1回からご覧になる方はこちらからどうぞ。

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