第5回の10問を順次解説していきます。
第5回第6問
下の地図は大阪市パノラマ地図のある部分を拡大したものです。
A 地図の中心の赤丸印の場所には当時何があったでしょうか?(建物名など)
B 現在はどうなっているでしょうか?
C 江戸時代の天保年間には何があったでしょうか?
D 地図の右端の市電が通っている道路の名前は?
E 日本初の市立専門学校で、後身は現在のA大学とB高等学校です。AとBは?
解答と解説
A 大阪市立大阪高等商業学校(大正10年より天王寺商業学校)
B 大阪市立大阪ビジネスフロンティア高等学校
C 天王寺村
D 玉造筋
E 大阪市立大学と大阪市立大阪ビジネスフロンティア高等学校(大阪市立天王寺商業高等学校)
天王寺商業高校の源流は、明治13年(1880)に五代友厚が大阪・立売堀(現在の大阪市西区)に創立した大阪商業講習所にさかのぼります。明治14年(1881)に大阪府に移管され、府立大阪商業講習所と称しました。明治18年(1885)には府立大阪商業学校へと改編されたのち、明治22年(1889)の大阪市の発足に伴い大阪市に移管され、大阪市立大阪商業学校となった。明治25年(1892)には大阪市北区堂島浜通2丁目に校舎を構えています。
明治34年(1901)には市立大阪高等商業学校に改編され、附属甲種商業科を設置しました。附属甲種商業科が天王寺商業高等学校の直接的なルーツとなります。(同じ大阪商業講習所にルーツを持つ教育機関として大阪市立大学があります)。
明治42年(1909)に北の大火で堂島校舎を焼失しました。江戸堀に仮校舎を設置したのち、明治45年(1912)に大阪市南区天王寺烏ヶ辻町(現・天王寺区烏ヶ辻)の現在地に移転しています。
学校では創立年を、大阪商業講習所の後身である大阪高等商業学校から大阪市立大阪甲種商業学校が独立開校した1912年としていました。
大阪市立第二商業学校(のちの大阪市立市岡商業高等学校)の開校に伴い、大正8年(1919)に大阪市立第一商業学校へ改称し、大正10年(1921)には大阪市立天王寺商業学校へ改編されました。
昭和23年(1948)学制改革により、大阪市立天王寺商業高等学校となります。大阪市立御津商業高等学校(旧・大阪市立御津女子商業学校)との合併で男女共学化しました。
創立百周年にもあたる平成24年(2012)に大阪市立市岡商業高等学校・大阪市立東商業高等学校と統合し、大学との7年一貫教育を視野に入れた高度な商業教育をおこなう大阪市立大阪ビジネスフロンティア高等学校を天王寺商業高等学校敷地に開設されました。これに伴い天王寺商業高等学校は新入生募集を停止し、最後の在校生が卒業した平成26年(2014)3月を以って閉校となりました。
敷地内には、五代友厚氏の銅像がありますが、非公開となっています。以上ウィキペディアより抜粋し、一部加筆しました。
浪華名所獨案内の真法院町付近 |
天保新改攝州大阪全圖(天保8(1837)年発行)の真法院町付近 |
明治41年、昭和4年、昭和32年、最近の地形図の真法院町付近(今昔マップ3より) |
第1回大阪市パノラマ地図検定解説編はこちらからどうぞ。
≫ http://osakakochizu.blogspot.jp/2016/09/blog-post_8.html
第2回大阪市パノラマ地図検定解説編はこちらからどうぞ。
≫ http://osakakochizu.blogspot.jp/2016/10/blog-post_5.html
第3回大阪市パノラマ地図検定解説編はこちらからどうぞ。
≫ http://osakakochizu.blogspot.jp/2016/11/blog-post_24.html
第4回大阪市パノラマ地図検定解説編はこちらからどうぞ。
≫ http://osakakochizu.blogspot.jp/2017/02/blog-post_9.html
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