2017年3月22日水曜日

大阪市パノラマ地図検定解説編(5-8)

大正13年発行の「大阪市パノラマ地図」から出題した、大阪市パノラマ地図検定の解説編です。第5回の10問を順次解説していきます。

第5回第8問
下の地図は大阪市パノラマ地図のある部分を拡大したものです。
A 地図の中心の赤丸印の場所には当時何があったでしょうか?(建物名など)
B 現在はどうなっているでしょうか?
C 江戸時代の天保年間には何があったでしょうか?
D この学校の後身は何大学でしょうか?
E 丸で囲まれた「天」は何でしょうか?

※江戸時代の手がかりをつかむには、浪華名所獨案内を活用してください。
※大阪市パノラマ地図の全体は、こちらからご覧いただけます。




解答と解説
A 大阪府女子師範学校
B 大阪府立夕陽丘高等学校と大阪警察病院
C 天王寺村
D 大阪教育大学
E 天王寺の「天」

大阪府女子師範学校は、現在の大阪教育大学の前身にあたります。
沿革は、1885年(明治18年)大阪府師範学校に附属女子師範学科・裁縫専習科が設置されたことに始まります。
1886年(明治19年)大阪府師範学校から女学科(附属女子師範学科)が分離し、大阪府女学校(大阪府立大手前高等学校の前身)として独立しました。
1890年(明治23年)大阪府尋常師範学校に女子師範学科が再設置されました。
1900年(明治33年)に分離独立し,南区天王寺北山・小宮(通称「桃山」と呼ばれていました。現在の大阪府立夕陽丘高等学校がある場所です。)に新校舎が竣工しました。大阪市パノラマ地図にはこのときの校舎の様子が描かれています。

大阪府尋常師範学校女子師範学科(桃山校舎)

大阪府女子師範学校は,1927年(昭和2年)に南区天王寺北山・小宮から住吉区平野流町に近代校舎を新設・移転しました。
1943年(昭和18年)の師範教育令改正により従来の師範学校が官立専門学校となった際,天王寺師範学校とともに大阪第一師範学校となり,この建物は,同校の女子部として用いられました。
以上、大阪教育大学のホームページ及びウィキペディアから引用しました。

浪華名所獨案内の小宮町付近
天保新改攝州大阪全圖(天保8(1837)年発行)の小宮町付近
明治41年、昭和7年、昭和32年、最近の地形図の小宮町付近(今昔マップ3より)


第1回大阪市パノラマ地図検定解説編はこちらからどうぞ。
http://osakakochizu.blogspot.jp/2016/09/blog-post_8.html

第2回大阪市パノラマ地図検定解説編はこちらからどうぞ。
http://osakakochizu.blogspot.jp/2016/10/blog-post_5.html

第3回大阪市パノラマ地図検定解説編はこちらからどうぞ。
http://osakakochizu.blogspot.jp/2016/11/blog-post_24.html

第4回大阪市パノラマ地図検定解説編はこちらからどうぞ。
http://osakakochizu.blogspot.jp/2017/02/blog-post_9.html

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