2016年11月30日水曜日

大阪市パノラマ地図検定解説編(4-1)

大正13年発行の「大阪市パノラマ地図」から出題した、大阪市パノラマ地図検定の解説編です。第4回の10問を順次解説していきます。

(第4回 第1問)
下の地図は大阪市パノラマ地図のある部分を拡大したものです。
A 地図の中心の赤丸印の場所には当時何があったでしょうか?(建物名)
B 現在はどうなっているでしょうか?
C 江戸時代の天保年間には何があったでしょうか?
D 昭和30年には何があったでしょうか?
E 昭和40年には何があったでしょうか?

※江戸時代の手がかりをつかむには、浪華名所獨案内を活用してください。



解答と解説
A 千日前楽天地
B エスカールなんばビックカメラ
C 千日前墓地
D 大阪歌舞伎座
E 千日デパートビル


 楽天地(らくてんち)は、1914年(大正3年)から1930年(昭和5年)まで大阪市南区難波新地四番町(現・中央区千日前)にあった劇場・演芸場・レジャーの殿堂。大正時代の大阪を代表するハイカラな名所でした。

 1912年(明治45年)1月16日、「ミナミの大火」によって難波新地から西高津新地、生国魂神社あたりまでが焼失しました。ミナミの壊滅的な被害で繁華街の灯が消えることを危惧した南海鉄道の社長は、近代的なレジャーセンターを作って復興したいと考え大阪の興行界の実力者・山川吉太郎に声をかけました。彼は当時、活動写真館や演芸場を経営し役者をアイドルとして売り出す才能の持ち主でした。南海の出資で彼はすべての娯楽を詰め込んだレジャーセンターを構想します。

 焼け跡整理にあたり、現在の千日前通にあたる東西の通りが拡幅され電車通りとなります。同時に、電車通りにできた新しい千日前交差点の南西隅に、山川吉太郎は1914年(大正3年)5月に一大娯楽センター「楽天地」を建設、一躍市内のハイカラな名所となりました。

 地上3階建てで多くの尖塔を持ち、中央には円形ドームを載せ、夜はイルミネーションで彩られていました。館内は大劇場と二つの小劇場で芝居・演劇・映画を公演。大劇場では主に外国の映画を上映、小劇場「朝陽殿」は男性向けの漫才などの演芸場、小劇場「月宮殿」は琵琶少女歌劇で、悲恋物など若い女性向けの泣ける芝居を上映していました。この中の少女スターが後の名優田中絹代です。地下にはメリーゴーランド、ローラースケート場、水族館などもありました。屋上ドームを回る螺旋階段を登るとドーム上に大阪市内を見渡す展望台があり人気を集めました。

 楽天地も御堂筋沿いのデパートなどさらに新しい名所に押され、また山川吉太郎の映画制作で多額の借金を抱えたことで営業が立ち行かなくなってきました。帝国キネマが1930年(昭和5年)に撮影所を焼失したのと時を同じくして、同年、楽天地もついに閉鎖しました。

 その跡地には1932年(昭和7年)には松竹経営で7階建て、3000名弱収容の南欧風近代建築「大阪歌舞伎座」(御堂筋にある大阪新歌舞伎座(2009年6月30日閉鎖)の前身)が誕生しました。

 1958年(昭和33年)、新歌舞伎座竣工後は、旧歌舞伎座ビルは千日デパートとなりましたが、1972年(昭和47年)の千日デパート火災で多数の死者を出します。その後長らくビルは放置され、1983年(昭和58年)ようやく取り壊されダイエー系のデパート「プランタンなんば」に建て替わり、「カテプリなんば」と改称したのを経て、現在はビックカメラなんば店(エスカールなんば)となっている。以上、ウィキペディアより引用しました。


第1回大阪市パノラマ地図検定解説編はこちらからどうぞ。
http://osakakochizu.blogspot.jp/2016/09/blog-post_8.html

第2回大阪市パノラマ地図検定解説編はこちらからどうぞ。
http://osakakochizu.blogspot.jp/2016/10/blog-post_5.html

第3回大阪市パノラマ地図検定解説編はこちらからどうぞ。
http://osakakochizu.blogspot.jp/2016/10/blog-post_5.html

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