2016年11月16日水曜日

大阪市パノラマ地図検定解説編(3-7、3-8)

大正13年発行の「大阪市パノラマ地図」から出題した、大阪市パノラマ地図検定の解説編です。今回は第3回の第7問と第8問を合わせて解説します。

(第3回 第7問)
下の地図は大阪市パノラマ地図のある部分を拡大したものです。
A 地図の中心の赤丸印の場所には当時何があったでしょうか?(建物名、橋名など)
B 現在はどうなっているでしょうか?
C 江戸時代天保年間には何があったでしょうか?
D 「わたなべばし」が架かっている川の名前は?

  配点は、A、Dは各2点、B、Cは各3点とします。

解答と解説
A 朝日新聞社
B 中之島フェスティバルタワー・ウエスト(工事中)
C 宇和島藩および大洲藩大坂蔵屋敷
D 堂島川

 宇和島藩蔵屋敷に祭祀の稲荷社は向かいの中之島フェスティバルタワー13Fに遷座(朝日稲荷大明神)されました。


(第3回 第8問)
下の地図は大阪市パノラマ地図のある部分を拡大したものです。
A 地図の中心の赤丸印の場所には当時何があったでしょうか?(建物名、橋名など)
B 現在はどうなっているでしょうか?
C 江戸時代天保年間には何があったでしょうか?
D 「さいこくばし」が架かっている川の名前は?

  配点は、A、Dは各2点、B、Cは各3点とします。

解答と解説
A 郵便本局(大阪中央郵便局)
B 中之島フェスティバルタワー
C 平戸藩大坂蔵屋敷
D 西横堀川



 江戸時代の中之島は、浪華名所獨案内に記されているように諸藩の蔵屋敷が多く立地していました。天保新改攝州大阪全圖を見ると、現在の四ツ橋筋を挟んで西側には宇和島藩および大洲藩、東側には平戸藩の蔵屋敷がありました。
浪華名所獨案内(天保年間)の肥後橋付近
天保新改攝州大阪全圖(天保8(1837)年発行)の肥後橋付近
 明治28年(1895)発行の大阪市明細地圖を見ると、西側に朝日新聞社、東側に郵便電信局が立地しています。大阪市パノラマ地図と同様です。
 大正14年(1925)発行の大阪市街大地図では、西側は朝日新聞社、東側は中央郵便局となっています。
大阪市街大地図(大正14年発行)の肥後橋付近
明治42年、昭和7年、昭和42年、最近の地形図の肥後橋付近(今昔マップ3より)
 朝日会館は昭和元年(1926)から昭和37年(1962)まで大阪の中之島に存在していた総合文化施設です。朝日新聞社を経営母体とする会館は、内部に展覧会場やホールをそなえ、映画上映、舞踊公演、演劇公演、音楽会、講演会に美術展、さらには雑誌出版など 多彩な文化事業を行っていました。川沿いにそびえる地下一階、地上六階の建物は、全体が黒色に覆われていたこともあり、ひときわ目を引くものだったといいます。朝日会館が会館する際におこなわれた談話の中で、当時の大阪市長である関一はこんなふうに述べています。
 「この壮麗で『文化の殿堂』として申分のない建築物は大阪市民の多年熱望していたものです。(中略)その建築様式も異彩を放ち海外に誇るに足るべきものでシヴィック・センターの同所を中心として都市計画の完成とともにその偉観に接することのできるのは私の最も欣幸とするところであります。」(『朝日會館史』より)
 この時期、関はみずからが掲げる「大大阪」理念のもとに大阪を近代都市へと変貌させようと目論んでいましたが、この談話はそのなかで文化施設としての朝日会館に期待がかけられていたことを示しています。実際に会館はさまざまな 文化領域において主導的な役割をはたし、「ここが大阪文化の中心」(『まぼろしの大阪」』より、坪内氏との対談のなかでの谷沢永一氏の発言)とまで評される存在となりました。(以上、朝日会館・会館芸術研究会さんのホームページより)

 大阪朝日ビルは、朝日新聞大阪本社社屋として、昭和6年(1931)に竣工しました。北東部分にはダイビル(初代、2009年解体)と同様に客船をイメージしたアールがつけられ、朝日新聞の題字ロゴが取り付けられていました。内部にはガラス張りの階段室、屋上には艦橋を連想させる航空標識塔が設けられています。DOCOMOMO JAPAN選定の日本におけるモダン・ムーブメントの建築にも選ばれました。
 朝日新聞ビル(あさひしんぶんビル)は昭和43年(1968)に竣工し、大阪朝日ビル(1931年竣工、10階建)の西側および南側に設置され、朝日新聞大阪本社の編集・発行部門のほか、関連会社、外部のテナントなどが入居していました。建物は地上13階、地下5階。建物は、大阪朝日ビルの西側と南側をL字型に覆うような形になっており、四ツ橋筋に面した南東側は同じく四ツ橋筋に面する大阪朝日ビルの北東側と同様に湾曲したデザインとなっていて、大阪朝日ビルとの一体感を持たせるようになっていました。また建物の西側は、阪神高速11号池田線が通っており、建物が橋脚の一部となっています。

 昭和33年(1958)には、大阪朝日ビルの東向かいの郵便本局のあった敷地に、フェスティバルホール、リサイタルホール、大阪グランドホテル、日刊スポーツ大阪本社等が入っている新朝日ビルディングがオープンしました。ビルディング建設前は昭和27年(1952)から31年(1956)までスケートリンク・アサヒアリーナがありました。屋上には昭和37年(1962)から平成6年(1994)まで公共ヘリポートである朝日ヘリポートが設置されていました。
 大阪グランドホテルの開業当時は東洋一のホテルとも呼ばれ、フェスティバルホールで演奏会を開いたカラヤンやバーンスタインなど多くの世界的な音楽家や文化人も利用しました。
しかし、新朝日ビルは老朽化を理由に平成21(2009)年度中に解体され、高さ200mの超高層ビル(中之島フェスティバルタワー)に建替えられることとなり、ホテルも平成20年(2008)3月31日に閉館することとなりました。
 平成24年(2012)11月に新しいフェスティバルホール(2013年4月開業)などを含んだ中之島フェスティバルタワー(東地区)が完成しました。
 平成26年(2014)、朝日新聞社は向かい側の旧朝日新聞ビル・大阪朝日ビル跡に建設される「中之島フェルティバルタワーウエスト」内に、ロイヤルホテル運営の新しいホテルを2017年に開業させることを発表しました。新ホテルは同タワーの33~40階に170室を設置、全室が面積50平方メートル以上の高級ホテルとなる予定です。


 フェスティバルホールのあった旧「新朝日ビル」の南壁面のレリーフ「牧神、音楽を楽しむの図」が、建替えに当たって再現されています。新レリーフ6体はすべて旧レリーフと同じ大きさで製作されましたが、建物の大きさは旧ビルと新ビルでは大きく異なっており、特に新レリーフを設置する壁面は旧ビルの壁面に比べて広いスペースが確保されています。また、旧レリーフの最高高さは20mでしたが、新レリーフは最高40mと高い位置にあります。そのため、旧レリーフの配置を基本としながら、ビル全体の形状も考慮した上、旧レリーフの配置よりも「太陽」を高く、「牧神(鳥)」を低く配置し、バランスをとっています。また、旧レリーフは建物に埋め込まれていましたが、新レリーフは壁面から10cm浮いて取り付けられていることにより影が出て、それが、レリーフのシルエットをより強調しています。
 レリーフの再現については、大塚オーミ陶業株式会社さんのホームページに詳しいレポートがあります。
http://www.ohmi.co.jp/report/index.php?topics2_category_pk=1464062648


第1回大阪市パノラマ地図検定解説編はこちらからどうぞ。
http://osakakochizu.blogspot.jp/2016/09/blog-post_8.html

第2回大阪市パノラマ地図検定解説編はこちらからどうぞ。
http://osakakochizu.blogspot.jp/2016/10/blog-post_5.html

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