2016年11月2日水曜日

大阪市パノラマ地図検定解説編(3-5)

大正13年発行の「大阪市パノラマ地図」から出題した、大阪市パノラマ地図検定の解説編です。今回は第3回の第5問を解説します。


(第3回 第5問)
下の地図は大阪市パノラマ地図のある部分を拡大したものです。
A 地図の中心の赤丸印の場所には当時何があったでしょうか?(建物名、橋名など)
B 現在はどうなっているでしょうか?
C 江戸時代天保年間には何があったでしょうか?
D 扇橋の架かっている川の名前は?

 配点は、A、Dは各2点、B、Cは各3点とします。

解答と解説
A 日本国有鉄道「天満駅」
B 西日本旅客鉄道「天満駅」
C 大坂三郷天満組池田町および夫婦町の町家と川崎村
D 天満堀川


 当時は現在のJR大阪環状線は環状になっておらず、大阪駅から東側は城東線と呼ばれており、地上を走っていました。このため、天神橋筋商店街の一筋西側に市電の敷設と合わせて天神橋西筋ができる際に、跨線橋によって国鉄を跨いでいました。パノラマ地図にその姿が描かれています。昭和8年(1933)に高架化され現在の天満駅が建設されました。
 ガード下のアーケードの天神橋筋商店街は自称「日本一長い商店街」で、古称は十丁目筋商店街。浪華名所獨案内にも、「十丁目筋と云う」と記されています。
 北側には天満市場があり、天満市場と天神橋筋商店街の間に商店が密集しており、駅周辺は大規模な商店街となっています。また、飲食店も数多く存在しており、庶民的な市場・盛り場となっています。


 天満駅周辺は江戸時代には大阪三郷天満組の北のはずれでした。浪華名所獨案内を見ると、東寺町より北には町の名前がなく、天保新改攝州大阪全圖を見ると、丁与力、丁同心より北には夫婦池があり、天神橋筋に沿って弁天丁・池田丁の文字がありますが、その東西には町の表示はなく農地が広がっていたと想定されます。
浪華名所獨案内(天保年間)の天満付近
天保新改攝州大阪全圖(天保8(1837)年発行)の天満付近

 現在の大阪環状線の東半分となる区間は、大阪鉄道 (初代) の本線(現在の関西本線)と官設鉄道東海道本線の間を結ぶために建設されましたが、その玉造駅 - 梅田駅(現在の大阪駅)間の開業時(明治28年)に、京橋駅と共に設置されたのが天満駅でした。駅名は、駅南方一帯の地名「天満」(大阪天満宮に由来・大阪三郷の天満組)に因んだものです。
 その後明治33年に関西鉄道が大阪鉄道の路線を承継し関西鉄道の駅となり、明治40年に関西鉄道が国有化され、国有鉄道の駅となりました。昭和8年(1933)に高架化され、昭和42年には現在の1番のりばが増設されました。
 「大阪環状線改造プロジェクト」の一環として、2015年3月22日から発車メロディにaikoの「花火」を導入している。大阪天満宮で夏に開かれる天神祭にちなんでおり、大阪出身のaikoの曲です。
 京阪電鉄の天満橋と名前が似ているためによく間違えられますが、約2km離れています。

大阪市街大地図(大正14年発行)の天満付近
明治41年、昭和4年、昭和42年、最近の地形図の天満駅付近(今昔マップ3より)

第3回第6問はこちらからどうぞ。
http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/11/blog-post_09.html
第2回第1問はこちらからどうぞ。
http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/08/blog-post_10.html
第1回第1問はこちらからどうぞ。
http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/06/blog-post_1.html


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