2017年2月22日水曜日

大阪市パノラマ地図検定解説編(5-4)

大正13年発行の「大阪市パノラマ地図」から出題した、大阪市パノラマ地図検定の解説編です。第5回の10問を順次解説していきます。

第5回第4問
下の地図は大阪市パノラマ地図のある部分を拡大したものです。
A 地図の中心の赤丸印の場所には当時何があったでしょうか?(建物名など)
B 現在はどうなっているでしょうか?
C 江戸時代の天保年間には何があったでしょうか?
D 市電「小橋西之町」停留所のある道路の名前は?
E 市電「舟橋町」停留所のある道路の名前は?

※江戸時代の手がかりをつかむには、浪華名所獨案内を活用してください。
※大阪市パノラマ地図の全体は、こちらからご覧いただけます。



解答と解説
A 大阪府立高津中学校
B 大阪府立高津高等学校
C 小橋村吉右衛門肝煎地
D 千日前通
E 玉造筋

 大正7年(1918)に11番目の府立中学校として創立。中等教育機関の入学難を緩和させるため、大阪府が大正中期に新設した旧制中学校5校のひとつ。校内にある「高津宮址碑」は、大阪市歌の冒頭にある「高津宮」の起源と伝えられ、校名もこれに由来します。
 大正7年(1918)の文部省告示により、大阪府立第十一中学校が大阪市に設置されることが認可されたが、設置当初は正式な場所は決まっておらず、大阪市北区北野茶屋町・心華小学校を仮校舎として設置されました。翌大正8年(1919)大阪府立高津中学校と改称し、大阪市東区東高津北之町(当時)の現在地に校舎が竣工して移転しています。大正11年(1922)には大阪府の学校では初めてとなる、鉄筋コンクリート校舎が竣工しています。
 昭和23年(1948)の学制改革により、全日制普通科・定時制普通科を併設する大阪府立高津高等学校が発足しました。近隣の大阪府立清水谷高等学校(旧制清水谷高等女学校)と生徒・教職員を交流し、男女共学となりました。
 以上、ウィキペディアから抜粋しました。

浪華名所獨案内の高津付近
天保新改攝州大阪全圖(天保8(1837)年発行)の高津付近
明治41年、昭和4年、昭和32年、最近の地形図の高津付近(今昔マップ3より)


第1回大阪市パノラマ地図検定解説編はこちらからどうぞ。
http://osakakochizu.blogspot.jp/2016/09/blog-post_8.html

第2回大阪市パノラマ地図検定解説編はこちらからどうぞ。
http://osakakochizu.blogspot.jp/2016/10/blog-post_5.html

第3回大阪市パノラマ地図検定解説編はこちらからどうぞ。
http://osakakochizu.blogspot.jp/2016/11/blog-post_24.html

第4回大阪市パノラマ地図検定解説編はこちらからどうぞ。
http://osakakochizu.blogspot.jp/2017/02/blog-post_9.html

0 件のコメント:

コメントを投稿