2017年2月15日水曜日

大阪市パノラマ地図検定解説編(5-2)

大正13年発行の「大阪市パノラマ地図」から出題した、大阪市パノラマ地図検定の解説編です。
第5回の10問を順次解説していきます。


第5回第2問
下の地図は大阪市パノラマ地図のある部分を拡大したものです。
A 地図の中心の赤丸印の場所には当時何があったでしょうか?(建物名など)
B 現在はどうなっているでしょうか?
C 江戸時代の天保年間には何があったでしょうか?
D 「中学前」の停留所がある鉄道はどこの会社の何という線ですか?
E 「北野」の停留所があるもうひとつの鉄道はどこの会社の何という線ですか?

※江戸時代の手がかりをつかむには、浪華名所獨案内を活用してください。
※大阪市パノラマ地図の全体は、こちらからご覧いただけます。



解答と解説
A 北野中学校
B 済生会中津病院
C 北野村
D 阪神北大阪線
E 箕面有馬電気軌道

 北野中学校は、明治6年(1873)に大阪東大組(後の東区、現在の中央区)の南御堂内に創立された欧学校に起源を持ち、集成学校に改称、進級学校との合併により、大阪府が最初に設置した旧制中学校「大阪府第一番中学校」の流れを汲みます。
 明治16年(1883)に、北区堂島浜通3丁目(現・大阪市福島区福島1丁目・「ほたるまち」)に移転し大阪府立堂島中学校と改称しました。
 明治29年(1896)には、生徒188名を新設の大阪府第五尋常中学校(現・大阪府立天王寺高等学校)へ分割しました。
 明治35年(1902)に 大阪市北区北野芝田町(現・大阪市北区芝田2丁目、大阪府済生会中津病院付近)に新築移転し、大阪府立北野中学校と改称しました。パノラマ地図にはこの北野中学校が描かれています。
 昭和6年(1931)4月に大阪市東淀川区十三南之町1丁目(現・大阪市淀川区新北野2丁目、現在地)の新校舎に移転しました。
 昭和23年(1948)4月に、学制改革により大阪府立大手前高等学校(旧制大阪府立大手前高等女学校)と教職員・生徒を半分ずつ交換して、大阪府立北野高等学校と改称しました。

 現在の校名は前所在地の北野に由来し、十三の現在地へ移転した際、十三中学校では13番目の府立中学校である豊中中学校(現在の大阪府立豊中高等学校)と紛らわしくなることや、一中のイメージが失われるとして反対運動が起こったため、改称が見送られたという経緯があります。校名が変更されなかっただけではなく、逆に、地名のほうが十三南之町から新北野に変更になっています。
 昭和60年(1985)4月には、大阪府済生会中津病院前庭に北野中学校跡記念碑が建てられました。
 以上、ウィキペディアより抜粋し、一部加筆しました。

済生会中津病院前庭の北野中学校跡記念碑
浪華名所獨案内の北野付近
天保新改攝州大阪全圖(天保8(1837)年発行)の北野付近
明治41年、昭和7年、昭和30年、最近の地形図の北野付近(今昔マップ3より)

第1回大阪市パノラマ地図検定解説編はこちらからどうぞ。
http://osakakochizu.blogspot.jp/2016/09/blog-post_8.html

第2回大阪市パノラマ地図検定解説編はこちらからどうぞ。
http://osakakochizu.blogspot.jp/2016/10/blog-post_5.html

第3回大阪市パノラマ地図検定解説編はこちらからどうぞ。
http://osakakochizu.blogspot.jp/2016/11/blog-post_24.html

第4回大阪市パノラマ地図検定解説編はこちらからどうぞ。
http://osakakochizu.blogspot.jp/2017/02/blog-post_9.html

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