2017年1月11日水曜日

大阪市パノラマ地図検定解説編(4-7)

大正13年発行の「大阪市パノラマ地図」から出題した、大阪市パノラマ地図検定の解説編です。
第4回の10問を順次解説していきます。


第4回第7問
下の地図は大阪市パノラマ地図のある部分を拡大したものです。
A 地図の中心の赤丸印の場所には当時何があったでしょうか?(建物名など)
B 現在はどうなっているでしょうか?
C 江戸時代の天保年間には何があったでしょうか?
D 瓦斯会社と発電所の間を流れる川の名前は?
E 大きな「區」の字がありますが、この時代は何区でしたか?

※江戸時代の手がかりをつかむには、浪華名所獨案内を活用してください。
※大阪市パノラマ地図の全体は、こちらからご覧いただけます。



解答と解説
A 九条発電所
B 多根総合病院と京セラドーム大阪
C 市岡新田の田畑
D 尻無川
E 西区

明治36年(1903)9月 花園橋~築港桟橋間で日本初の公営電気鉄道として大阪市電が開業しました。その後、大阪市工務課の電気鉄道業務が大阪市電気鉄道課に改組されました。明治42年(1909)3月に配電事業を開始し、明治44年に大阪市電気鉄道部に改組されました。大正12年(1923)10月、大阪電灯からの事業買収に伴い大阪市電気局に改組されました。
昭和2年(1927)2月、平野~阿倍野橋間で市営バスの営業を開始しました。また、昭和8年(1933)5月、日本初の公営地下鉄として大阪市営地下鉄1号線(現・御堂筋線)が開業しました。
昭和17年(1942)4月に、配電事業を関西配電(現在の関西電力)に移管し、昭和20年(1945)9月、大阪市交通局に改組され、現在に至っています。以上、ウィキペディアから引用させていただきました。

大阪市パノラマ地図には発電所と九条車庫が並んで描かれていますが、当時は発電所で発電された電気は市電を走らせるだけでなく家庭用に配電されていました。そのためでしょうか、市電の停留所名は「車庫前」ではなく「発電所前」となっているのも面白いと思います。

大阪市パノラマ地図の九条付近

戦時体制になって配電事業が関西配電(現在の関西電力)に移管されるまでの間、当時の大阪市電気局は市電、地下鉄のほか市営バスも含めた交通事業と、現在関西電力が行っている配電事業の両方を担っていました。大阪市が関西電力の大株主となっているのもその名残です。
九条周辺には尻無川を挟んで西側に電気局、東側に瓦斯会社(現在の大阪ガス)の発祥の地があり、大阪の近代工業発祥のルーツともいえる役割を果たしてきたと考えられます。

尻無川は、昭和27年(1952年)に境川運河以北が埋め立てられ、岩崎運河が尻無川の上流をなすという現在の状態になりました。現在その上に、旧電気局と大阪ガスの用地にまたがって、京セラドーム大阪が建っています。
旧大阪市電気局庁舎は、年に東側の隣接地に建替えられ、跡地には大阪市消防局庁舎が建っています。消防局庁舎の北側には、電気局があった名残として、現在も関西電力の九条営業所があります。

浪華名所獨案内の九条付近
天保新改攝州大阪全圖(天保8(1837)年発行)の九条付近
明治42年、昭和7年、昭和29年、最近の地形図の九条付近(今昔マップ3より)


第1回大阪市パノラマ地図検定解説編はこちらからどうぞ。
http://osakakochizu.blogspot.jp/2016/09/blog-post_8.html

第2回大阪市パノラマ地図検定解説編はこちらからどうぞ。
http://osakakochizu.blogspot.jp/2016/10/blog-post_5.html

第3回大阪市パノラマ地図検定解説編はこちらからどうぞ。
http://osakakochizu.blogspot.jp/2016/11/blog-post_24.html

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