2016年10月19日水曜日

大阪市パノラマ地図検定解説編(3-1、3-2)

大正13年発行の「大阪市パノラマ地図」から出題した、大阪市パノラマ地図検定の解説編です。今回は第3回の第1問と第2問を合わせて解説します。

(第3回 第1問)
下の地図は大阪市パノラマ地図のある部分を拡大したものです。
A 地図の中心の赤丸印の場所には当時何があったでしょうか?(建物名、橋名など)
B 現在はどうなっているでしょうか?
C 江戸時代天保年間には何があったでしょうか?
D 地図中央の「阪神前」は市電の停留所名です。では、地図の右側の「崎」は何を表わしているでしょうか?

  配点は、A、Dは各2点、B、Cは各3点とします。

解答と解説
A 阪神電気鉄道「梅田駅」
B ハービスENT
C 曾根崎村の田地
D 曾根崎の「崎」
 阪神電気鉄道の開業当初、少し西の出入橋駅までの営業でしたが、明治39年に東へ延伸されました。現在の阪神梅田駅はさらに東へ延伸され、大阪駅前の地下駅となっています。


(第3回 第2問)
下の地図は大阪市パノラマ地図のある部分を拡大したものです。
A 地図の中心の赤丸印の場所には当時何があったでしょうか?(建物名、橋名など)
B 現在はどうなっているでしょうか?
C 江戸時代天保年間には何があったでしょうか?
D 「車庫前」は市電の停留所名です。さて何の車庫があったのでしょうか?

  配点は、A、Dは各2点、B、Cは各3点とします。


解答と解説
A 阪神急行電鉄梅田駅「阪急ビル」
B 阪急百貨店梅田店
C 北野村の田地
D 大阪市電の車庫

 当時は1階は阪急ではなく白木屋(大正9年~大正14年)に賃貸されていました。2階は阪急食堂が営業していました。



 江戸時代天保年間の梅田付近は、大坂三郷天満組の市街地の北の外れで、田地が拡がっていました。淀川の氾濫の多い地域でもあり、水に強い菜の花が多く植えられていたそうです。江戸時代には能勢街道の要所として、数多くの旅人が行き来して、鶴乃茶屋や萩乃茶屋といった名物茶屋が並んで賑わったという茶屋町界隈。菜の花畑が一面に広がり、それは大坂・毛馬生まれの漂泊詩人・与謝蕪村の心の故郷、原風景でもありました。菜の花を題材にした多くの句が詠まれています。今では大都会の中心部にありながらも、茶屋町界隈には、よく眺めれば、旧街道の名残がちらほら見えてきます。
 第1回大阪市パノラマ地図検定の第2問「大阪駅」のところでも触れましたが、大阪~神戸間の鉄道が引かれた際に、市街地の外れのこの地域に「梅田ステン所」が建設され、その後、大阪~京都間の鉄道が敷設され、現在の大阪環状線に当たる西成線と城東線の駅ができ、私鉄の阪神、阪急のターミナルもこの地域に整備されました。



浪華名所獨案内(天保年間)の梅田付近
天保新改攝州大阪全圖(天保8(1837)年発行)の梅田付近

 阪神電鉄は、明治32年(1899)6月に、社名を摂津電気鉄道株式会社として設立。同年7月に阪神電気鉄道株式会社に改称し、明治38年(1905)4月に神戸(三宮)~ 大阪(出入橋)間の営業を開始しました。翌明治39年(1906)12月21日に、それまでのターミナルだった出入橋駅より路線を延ばす形で梅田駅が開業しました。現在より西のハービスENTあたりにありました。パノラマ地図にはこの時の梅田駅が描かれています。その後昭和14年(1939)3月21日に、地下化され現在の梅田駅に移転しました。

 一方の阪急電鉄の梅田駅は、明治43年(1910)に阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道が梅田駅~宝塚駅間で営業開始した際に開業しました。このときは東海道本線南側、現在の阪急百貨店うめだ本店の場所にある地上駅でした。大正7年(1918)2月4日、社名変更により阪神急行電鉄となり、大正9年(1920)7月16日に神戸本線が開業し、神戸本線の列車が乗り入れるようになりました。パノラマ地図にはこのころの梅田駅が描かれています。
 その後、大正15年(1926)7月5日、梅田駅~十三駅間の複々線高架完成により高架駅に移転しました。この際に国有鉄道大阪駅の高架化計画が既に立てられていたため、高架駅は鉄骨の仮建築として造られました。そして、大阪駅の高架化工事が部分完成するとともに、予定通り昭和9年(1934)に再び地上駅化されました。
 昭和18年(1943)に阪神急行電鉄と京阪電気鉄道の合併により京阪神急行電鉄となり、昭和34年(1959)には梅田駅~十三駅間に京都本線用の線路が増設されました。
 昭和41年(1966)から、現在地への移転高架化拡張工事に起工し、昭和42年(1967)に神戸本線ホームを高架に移転、以降順次移転を進め、昭和48年(1973)に高架化拡張工事が完成し、現在の阪急梅田駅となりました。
 阪急梅田駅の歴史については、新之介さんのブログ「十三のいま昔を歩こう」に3回シリーズでたくさんの写真や資料を使って紹介されています。詳しくはこちらをどうぞ。
http://atamatote.blog119.fc2.com/blog-entry-118.html
 
大正14(1925)年発行の「大阪市街大地図」の梅田付近
明治41年、昭和7年、昭和42年、最近の地形図(今昔マップ3より)


第3回第3問はこちらからどうぞ。
http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/10/blog-post_26.html
第2回第1問はこちらからどうぞ。
http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/08/blog-post_10.html
第1回第1問はこちらからどうぞ。
http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/06/blog-post_1.html

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