第5回の10問を順次解説してきました。今回で10問完結です。
第5回第10問
下の地図は大阪市パノラマ地図のある部分を拡大したものです。
A 地図の中心の赤丸印の場所には当時何があったでしょうか?(建物名など)
B 現在はどうなっているでしょうか?
C 江戸時代の天保年間には何があったでしょうか?
D 丸で囲まれた「造」は何でしょうか?
E 1614年には、ここには何があったでしょうか?
解答と解説
A 明星商業学校
B 明星中学校・高等学校
C 東高津村(真田山)
D 玉造の「造」
E 真田丸
明星学園の歴史は、1898年(明治31年)、マリア会から派遣されたウォルフ先生により大阪市西区江戸堀に創立されたことに始まります。生徒数13名というささやかな出発でした。
南区千年町を経て、1903年(明治36年)現在地・真田山に移転しました。フランス風のハイカラな校舎の出現が人々を驚かせました。以来”明星商業”として多くの逸材を関西実業界に送り、とくにフランス語や英語に特色のある「語学の明星」として有名でした。大阪市パノラマ地図にはこのときの校舎の様子が描かれています。
第二次大戦後の1947~1948年(昭和22~23年)、学制改正にともない、明星高等学校・明星中学校を併設する大阪明星学園として再出発しました。
マリア会は1817年、シャミナード師によってフランスのボルドーに創設されたカトリック男子修道会で生涯を青少年教育に捧げようとする人々の集まりです。 現在会員は約2000名。世界の六大州にまたがる約135の大学・高校・中学・小学校の経営にあたっています。
日本においては、1887年(明治20年)5名のマリア会会員が東京に現在の暁星学園を創立。他に日本での姉妹校として海星学園(長崎)、光星学園(札幌)があります。
以上、大阪明星学園のホームページより引用しました。
グラウンドの脇には、平成28年1月に真田丸顕彰碑が建てられています。
真田丸は、大坂冬の陣の際に真田信繁(幸村)が徳川軍を破った出城で、大坂城の弱点である南面からの敵軍の進入を抑えるために築かれました。冬の陣の後に徳川軍によって徹底的に壊されましたが、昨年新しい資料も見つかり、存在場所がほぼ特定されました。真田丸関連の資料は新之介さんのブログからお借りしました。
大阪市パノラマ地図検定全50問は、今回で終了します。
最後まで、お付き合いいただきありがとうございました。
真田丸顕彰碑 |
浪華名所獨案内の真田山付近 |
天保新改攝州大阪全圖(天保8(1837)年発行)の真田山付近 |
明治41年、昭和4年、昭和32年、最近の地形図の真田山付近(今昔マップ3より) |
松江で新たに発見された絵図(左)と 広島市立図書館所蔵の「浅野文庫所蔵 諸国当城之図」(右) |
地形図と重ねてみると (南側の堀はそれらしい地形が見当たりません。完全に埋められたのでしょう。) |
明治時代の大阪実測図と重ねてみると |
現在の地図と重ねてみると |
第1回大阪市パノラマ地図検定解説編はこちらからどうぞ。
≫ http://osakakochizu.blogspot.jp/2016/09/blog-post_8.html
第2回大阪市パノラマ地図検定解説編はこちらからどうぞ。
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第3回大阪市パノラマ地図検定解説編はこちらからどうぞ。
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第4回大阪市パノラマ地図検定解説編はこちらからどうぞ。
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