2016年12月7日水曜日

大阪市パノラマ地図検定解説編(4-2)

大正13年発行の「大阪市パノラマ地図」から出題した、大阪市パノラマ地図検定の解説編です。第4回の10問を順次解説していきます。

(第4回第2問)
下の地図は大阪市パノラマ地図のある部分を拡大したものです。
A 地図の中心の赤丸印の場所には当時何があったでしょうか?(建物名)
B 現在はどうなっているでしょうか?
C 江戸時代の天保年間には何があったでしょうか?
D 地図の赤丸の建物の場所にはその後何が建てられたでしょうか?
E その建物はいつまで建っていたでしょうか? 

※江戸時代の手がかりをつかむには、浪華名所獨案内を活用してください。



解答と解説
A 大阪株式取引所
B 大阪取引所
C 金相場会所
D 大阪証券取引所
E 2000年(平成12年)3月閉館、2001年(平成13年)10月取り壊し

 大阪取引所(おおさかとりひきじょ)は、株式会社日本取引所グループの子会社で、金融商品取引所。所在地の大阪市中央区北浜一丁目にちなんで「北浜」とも呼ばれています。

 諸藩の蔵屋敷があった江戸時代の大坂の米穀取引所を起源に、五代友厚らが発起人となって設立された大阪株式取引所が前身で、金相場会所の跡地にあります。なお、1730年(享保15年)に設立された堂島米会所で行われた帳簿上の差金の授受によって決済を行う「帳合米取引」が、世界で最初の公設の商品先物取引と言われます。この伝統から、大阪株式取引所の草創期から帳合米取引をベースにした定期取引(および後の清算取引、現行法でいう先物取引(futures)の方法にあたる)が行われていました(終戦後、証券業界では証券取引法に基づく証券取引所開設の際に証券業界で清算取引の再開を求めていたが、GHQにより清算取引の禁止を求められた経緯もあり個別株式の先物取引の復活は今日に至るまで実現されていません)。

 戦後は東京証券取引所とともに日本の株式市場の一翼をなしていたが、東証との経営統合や、持株会社の日本取引所グループの子会社化を経て、日本取引所グループでのデリバティブ(金融派生商品)専門取引所に位置付けられ、現物市場を東証に移管し、東証からデリバティブ市場の移管を受けて、2014年3月24日に現社名の「株式会社大阪取引所」に改名しています。

 現在の大阪取引所ビルは、平和不動産の所有で、下層階は旧市場館の外観を保存したものとなっています。エントランスホールの大型モニターには、大阪取引所の顔である日経225先物取引の取引値が表示されています。 テナントは、地下1階と1階に「ポンテベッキオ」など飲食店が、2階は銀行とクリニック、3階には大阪経済大学(北浜キャンパス)が入居し、社会人向けの実践的カリキュラムを提供している。5階は見学スペース「OSEギャラリー」(2015年2月2日オープン)となっています。オフィス棟の上層部にはオフィスや証券会社が多数入っています。

 旧市場館は1935年長谷部竹腰建築事務所の設計で竣工。施工は大林組。2004年の新ビルでも円形のエントランスホールの外観のみ残されています。

浪華名所獨案内の北浜付近
天保新改攝州大阪全圖(天保8(1837)年発行)の北浜付近
明治41年、昭和4年、昭和32年、最近の地形図の北浜付近(今昔マップ3より)

第1回大阪市パノラマ地図検定解説編はこちらからどうぞ。
http://osakakochizu.blogspot.jp/2016/09/blog-post_8.html

第2回大阪市パノラマ地図検定解説編はこちらからどうぞ。
http://osakakochizu.blogspot.jp/2016/10/blog-post_5.html

第3回大阪市パノラマ地図検定解説編はこちらからどうぞ。
http://osakakochizu.blogspot.jp/2016/10/blog-post_5.html

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