2016年12月14日水曜日

大阪市パノラマ地図検定解説編(4-3)

大正13年発行の「大阪市パノラマ地図」から出題した、大阪市パノラマ地図検定の解説編です。第4回の10問を順次解説していきます。

(第4回第3問)
下の地図は大阪市パノラマ地図のある部分を拡大したものです。
A 地図の中心の赤丸印の場所には当時何があったでしょうか?(建物名)
B 現在はどうなっているでしょうか?
C 江戸時代の天保年間には何があったでしょうか?
D この地図の赤丸印の建物の場所にはその後何が建てられましたか?
E その建物はいつまで建っていましたか?

※江戸時代の手がかりをつかむには、浪華名所獨案内を活用してください。



解答と解説
A 加島銀行
B 大同生命保険本社ビル
C 加島屋
D 大同生命肥後橋ビル
E 1990年(平成2年)

 NHK朝のドラマ(連続テレビ小説)「あさが来た」のモデルとなり、一躍有名になった大同生命とその前身の加島銀行、加島屋です。加島銀行の歴史をウィキペディアにより振り返ると、
≪江戸時代から続く大阪の豪商・加島屋(かじまや)の両替店を母体に1888年(明治21年)設立。1902年(明治35年)には、大同生命保険の設立にも関与する。昭和恐慌のあおりを受け経営危機に陥り、1929年(昭和4年)鴻池銀行、野村銀行、山口銀行の3行に分割、買収される。1937年(昭和12年)廃業。行章は光を図案化した中央に「加」の字を配していた。≫
とあり、広岡家は大同生命に経営を集中し、加島銀行は現在の三菱東京UFJ銀行とりそな銀行につながっていることになります。

 一方、大同生命の歴史を同社のホームページに見ると、
≪明治35年7月 「加島屋」が主体となって、朝日生命(旧社名真宗生命:明治28年設立)、護国生命(明治29年設立)、北海生命(明治31年設立)の3社が合併、<加入者本位・堅実経営>を創業の精神として、大同生命保険株式会社を創業。社名は、「小異を捨てて大同につく」に由来。
明治42年1月  本社を大阪市西区江戸堀に移転。
大正14年6月  本社を大阪市西区土佐堀通1丁目1番地(現大阪本社所在地)に移転。
昭和22年7月  大同生命保険相互会社として再発足。
昭和47年10月 本社を大阪府吹田市江坂町1丁目23番101号に移転。
平成 5年10月 大阪本社を大阪市西区江戸堀1丁目2番1号に移転。≫

 以上の資料によると、大正13年1月発行の大阪市パノラマ地図に、土佐堀通と四つ橋筋が交わる肥後橋交差点に面して描かれている建物は加島銀行であることがわかります。

 ヴォーリズ建築事務所の設計による大同生命肥後橋ビルは、1922年(大正11年)10月4日着手されましたが、工事途中に突発した関東大震災をふまえて工事を中止しました。耐震性の向上のため当初計画の10階建てを9階建てにするなどの設計変更が加えられ、1925年(大正14年)6月6日に落成しました。完成に合わせて大同生命の本社はかつて加島屋本家があったこの地に移り、そのほか、加島銀行や広岡合名会社などの各社が居を構えました。

加島屋本家
大同生命肥後橋ビル
加島屋本家の碑

 現在の大同生命保険の大阪本社ビルは、ヴォーリズ設計の旧本社ビルを建て替えて誕生しました。大同生命の本社は昭和47年に吹田市江坂町に移転しましたが、本社ビルの完成にあわせて平成5年、再びここ土佐堀の地に戻ってきています。
 装飾的な部分は旧ビルの様式を引き継いでいますが、このビルを特徴付けている下層部の扇型の広がりは新ビルになってからのものです。 ヴォーリズの流れをくむ一粒社ヴォーリズ建築事務所と日建設計が設計しました。大阪都市建築景観賞を受賞しています。


浪華名所獨案内の肥後橋付近
天保新改攝州大阪全圖(天保8(1837)年発行)の肥後橋付近
明治42年、昭和7年、昭和30年、最近の地形図の肥後橋付近(今昔マップ3より)

第1回大阪市パノラマ地図検定解説編はこちらからどうぞ。
http://osakakochizu.blogspot.jp/2016/09/blog-post_8.html

第2回大阪市パノラマ地図検定解説編はこちらからどうぞ。
http://osakakochizu.blogspot.jp/2016/10/blog-post_5.html

第3回大阪市パノラマ地図検定解説編はこちらからどうぞ。
http://osakakochizu.blogspot.jp/2016/10/blog-post_5.html

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