第4回第5問
下の地図は大阪市パノラマ地図のある部分を拡大したものです。
A 地図の中心の赤丸印の場所には当時何があったでしょうか?(建物名など)
B 現在はどうなっているでしょうか?
C 江戸時代の天保年間には何があったでしょうか?
D 堂島小橋が架かる川の名前は?
E 当時は何区でしたか?
※江戸時代の手がかりをつかむには、浪華名所獨案内を活用してください。
※大阪市パノラマ地図の全体は、こちらからご覧いただけます。
解答と解説
A 大日本紡績福島工場(もと日本紡績本社工場)
B 下福島公園
C 野田村の低湿地帯
D 曾根崎川(蜆川)
E 北区
日本紡績は明治26年2月7日に創立し、本社工場は大阪市下福島(大阪市北区西野田平松町)に建設されました。この工場が後の大日本紡績福島工場であり、当時は野狐がさまよう寂しい所であったと記されています(『大日本紡績株式会社五十年記要』)。
福島の本社工場は、その後周囲が市街地となって拡張の余地がなくなり、また建物も2階建ての旧式工場であったので、大日本紡績時代の昭和11年8月7日に閉鎖され、主要設備は一宮工場に移されました。
戦後はユニチカの本店社宅白鳳荘が敷地の一角に建設され、その後昭和53年4月からユニチカ建設不動産事業本部によって「ユニライフ福島」が分譲マンションとして建設され、今日に至っています。
かつての大日本紡績株式会社(現ユニチカ株式会社)の主力工場であった福島工場跡地には、大阪厚生年金病院などと共に下福島公園が建設されました。福島区内では福島公園に次いで古い公園であり、面積は区内で最大規模を誇っています。
1894年(明治27年)に日本紡績株式会社本社工場が建設されたときの赤煉瓦壁の一部が公園東側の境界に現存しています。この壁は1945年(昭和20年)6月の大阪大空襲や1909年(明治42年)の北の大火の火災延焼を食い止めたものの一部です。(実際に延焼を食い止めたのは福島4丁目3番地付近の工場外壁で、壁の高さは3.5mほどあったといわれています。)
公園内にはこの地が発祥の地といわれ、区の花にも指定されているノダフジ(野田藤)が栽培されています。また、足利義詮や豊臣秀吉も訪れた藤庵の庭も復元されて公園内に移設されています(ノダフジ発祥の地の碑は、玉川2丁目の春日神社内に建立されています)。
2001年に下福島プールが改築され、新たに屋内プールおよびトレーニング施設がオープンしました。野球グラウンドが2面取れる下福島運動場では、平日は近隣の小中学生の授業やクラブ活動などが、休日には会社員などの野球チームが試合を行っています。 また、下福島運動場の外周に沿って1周480mのジョギングコース(舗装)も整備されています。
浪華名所獨案内の下福島付近 |
天保新改攝州大阪全圖(天保8(1837)年発行)の下福島付近 |
明治42年、昭和7年、昭和30年、最近の地形図の下福島付近(今昔マップ3より) |
第1回大阪市パノラマ地図検定解説編はこちらからどうぞ。
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