2024年12月4日水曜日

大阪あそ歩 20241207 西横堀

いまはなき西横堀川を心に思い描いて
~大阪メトロ中央線を歩く(本町)


 かつて開発者の名前から七郎右衛門堀と呼ばれた西横堀川。今から400年程前に開削された川は阪神高速道路の建設により埋め立てられてしまい、今ではいくつか残る橋跡にのみ、その名残をとどめています。
 「西横堀川」は、今から約60年前の昭和37年(1962)に埋め立てられて、上空に阪神高速道路が通っています。土佐堀から長堀までの間に、上流から、西国橋、船町橋、尼ヶ崎橋、筋違橋、呉服橋、京町橋、新天満橋、相生橋、敷津橋、信濃橋、奈良屋橋、江達橋、笹橋、新渡辺橋、助右衛門橋、新町橋、上繋橋の17の橋が架かっていました。
 川と橋と、まちを思い描きながら、土佐堀から長堀の四ツ橋まで歩きます。

【コースの概要】
肥後橋駅~西横堀川跡碑~阪神高速道路開通記念碑~梅花社跡~筋違橋(すじかいばし)~呉服橋~墨屋作兵衛~京町橋~京町堀川跡~信濃橋~中央大通り(大阪メトロ中央線本町駅)~火防陶器神社~渡邉町~瀬戸物町~立売堀川跡~新町橋~四ツ橋(解散)



詳細なマップはこちらからご覧ください。
https://www.osaka-asobo.jp/course/pdf/m/open/i/53?1733294947881

〇浪花の繁栄~江戸時代の大坂三郷の商工~
(まちに住まう~大阪都市住宅史~付録:大阪くらしの今昔館で販売中)

〇浪華名所獨案内
(Strolyより)


〇明治41年陸地測量部地図
(大阪こちずぶらりより)


〇大阪市パノラマ地図
(国際日本文化研究センターより)

https://lapis.nichibun.ac.jp/chizu/zoomify/mapview.php?m=003023231_o


〇自分で作る色別標高図
(重ねるハザードマップより)


〇オオサカマニア「橋跡」

大阪の歴史に欠かせない橋の面影を探して
 江戸の「八百八町(はっぴゃくやちょう)」に対し、浪花の「八百八橋(はっぴゃくやばし)」。808という数はともかく、現在も橋がなくても橋がつく地名、心斎橋や四ツ橋、鶴橋などが思い浮かびます。江戸時代、大坂は日本の物流の中心でした。各地の藩は自領で収穫された米をはじめ、特産物などを大坂に運んで売りさばき、自藩の財源としていました。物資を運搬する手段は船でした。
 そのため、物資を運び込むために大坂の市中には、堀川(運河)が張り巡らされていたのです。堀川とは人工的に造られた運河のことで、岸には各藩の蔵屋敷が建ち並んでおり、江戸時代の後期には170もの蔵屋敷があったそうです。大坂には市中を流れる何本もの堀川があったため、水で隔てられたこっち側と、向こう側を結ぶためにたくさんの橋が架けられていました。
https://osakamania.jp/mania/hashiato/


〇次回のまち歩き
 2024秋のシーズンは、今回が締めのコースとなります。
 2025冬には、「幸を求めて・・・」「福を求めて・・・」のコースを計画しています。

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