2016年11月16日水曜日

大阪市パノラマ地図検定解説編(3-7、3-8)

大正13年発行の「大阪市パノラマ地図」から出題した、大阪市パノラマ地図検定の解説編です。今回は第3回の第7問と第8問を合わせて解説します。

(第3回 第7問)
下の地図は大阪市パノラマ地図のある部分を拡大したものです。
A 地図の中心の赤丸印の場所には当時何があったでしょうか?(建物名、橋名など)
B 現在はどうなっているでしょうか?
C 江戸時代天保年間には何があったでしょうか?
D 「わたなべばし」が架かっている川の名前は?

  配点は、A、Dは各2点、B、Cは各3点とします。

解答と解説
A 朝日新聞社
B 中之島フェスティバルタワー・ウエスト(工事中)
C 宇和島藩および大洲藩大坂蔵屋敷
D 堂島川

 宇和島藩蔵屋敷に祭祀の稲荷社は向かいの中之島フェスティバルタワー13Fに遷座(朝日稲荷大明神)されました。


(第3回 第8問)
下の地図は大阪市パノラマ地図のある部分を拡大したものです。
A 地図の中心の赤丸印の場所には当時何があったでしょうか?(建物名、橋名など)
B 現在はどうなっているでしょうか?
C 江戸時代天保年間には何があったでしょうか?
D 「さいこくばし」が架かっている川の名前は?

  配点は、A、Dは各2点、B、Cは各3点とします。

解答と解説
A 郵便本局(大阪中央郵便局)
B 中之島フェスティバルタワー
C 平戸藩大坂蔵屋敷
D 西横堀川



 江戸時代の中之島は、浪華名所獨案内に記されているように諸藩の蔵屋敷が多く立地していました。天保新改攝州大阪全圖を見ると、現在の四ツ橋筋を挟んで西側には宇和島藩および大洲藩、東側には平戸藩の蔵屋敷がありました。
浪華名所獨案内(天保年間)の肥後橋付近
天保新改攝州大阪全圖(天保8(1837)年発行)の肥後橋付近
 明治28年(1895)発行の大阪市明細地圖を見ると、西側に朝日新聞社、東側に郵便電信局が立地しています。大阪市パノラマ地図と同様です。
 大正14年(1925)発行の大阪市街大地図では、西側は朝日新聞社、東側は中央郵便局となっています。
大阪市街大地図(大正14年発行)の肥後橋付近
明治42年、昭和7年、昭和42年、最近の地形図の肥後橋付近(今昔マップ3より)
 朝日会館は昭和元年(1926)から昭和37年(1962)まで大阪の中之島に存在していた総合文化施設です。朝日新聞社を経営母体とする会館は、内部に展覧会場やホールをそなえ、映画上映、舞踊公演、演劇公演、音楽会、講演会に美術展、さらには雑誌出版など 多彩な文化事業を行っていました。川沿いにそびえる地下一階、地上六階の建物は、全体が黒色に覆われていたこともあり、ひときわ目を引くものだったといいます。朝日会館が会館する際におこなわれた談話の中で、当時の大阪市長である関一はこんなふうに述べています。
 「この壮麗で『文化の殿堂』として申分のない建築物は大阪市民の多年熱望していたものです。(中略)その建築様式も異彩を放ち海外に誇るに足るべきものでシヴィック・センターの同所を中心として都市計画の完成とともにその偉観に接することのできるのは私の最も欣幸とするところであります。」(『朝日會館史』より)
 この時期、関はみずからが掲げる「大大阪」理念のもとに大阪を近代都市へと変貌させようと目論んでいましたが、この談話はそのなかで文化施設としての朝日会館に期待がかけられていたことを示しています。実際に会館はさまざまな 文化領域において主導的な役割をはたし、「ここが大阪文化の中心」(『まぼろしの大阪」』より、坪内氏との対談のなかでの谷沢永一氏の発言)とまで評される存在となりました。(以上、朝日会館・会館芸術研究会さんのホームページより)

 大阪朝日ビルは、朝日新聞大阪本社社屋として、昭和6年(1931)に竣工しました。北東部分にはダイビル(初代、2009年解体)と同様に客船をイメージしたアールがつけられ、朝日新聞の題字ロゴが取り付けられていました。内部にはガラス張りの階段室、屋上には艦橋を連想させる航空標識塔が設けられています。DOCOMOMO JAPAN選定の日本におけるモダン・ムーブメントの建築にも選ばれました。
 朝日新聞ビル(あさひしんぶんビル)は昭和43年(1968)に竣工し、大阪朝日ビル(1931年竣工、10階建)の西側および南側に設置され、朝日新聞大阪本社の編集・発行部門のほか、関連会社、外部のテナントなどが入居していました。建物は地上13階、地下5階。建物は、大阪朝日ビルの西側と南側をL字型に覆うような形になっており、四ツ橋筋に面した南東側は同じく四ツ橋筋に面する大阪朝日ビルの北東側と同様に湾曲したデザインとなっていて、大阪朝日ビルとの一体感を持たせるようになっていました。また建物の西側は、阪神高速11号池田線が通っており、建物が橋脚の一部となっています。

 昭和33年(1958)には、大阪朝日ビルの東向かいの郵便本局のあった敷地に、フェスティバルホール、リサイタルホール、大阪グランドホテル、日刊スポーツ大阪本社等が入っている新朝日ビルディングがオープンしました。ビルディング建設前は昭和27年(1952)から31年(1956)までスケートリンク・アサヒアリーナがありました。屋上には昭和37年(1962)から平成6年(1994)まで公共ヘリポートである朝日ヘリポートが設置されていました。
 大阪グランドホテルの開業当時は東洋一のホテルとも呼ばれ、フェスティバルホールで演奏会を開いたカラヤンやバーンスタインなど多くの世界的な音楽家や文化人も利用しました。
しかし、新朝日ビルは老朽化を理由に平成21(2009)年度中に解体され、高さ200mの超高層ビル(中之島フェスティバルタワー)に建替えられることとなり、ホテルも平成20年(2008)3月31日に閉館することとなりました。
 平成24年(2012)11月に新しいフェスティバルホール(2013年4月開業)などを含んだ中之島フェスティバルタワー(東地区)が完成しました。
 平成26年(2014)、朝日新聞社は向かい側の旧朝日新聞ビル・大阪朝日ビル跡に建設される「中之島フェルティバルタワーウエスト」内に、ロイヤルホテル運営の新しいホテルを2017年に開業させることを発表しました。新ホテルは同タワーの33~40階に170室を設置、全室が面積50平方メートル以上の高級ホテルとなる予定です。


 フェスティバルホールのあった旧「新朝日ビル」の南壁面のレリーフ「牧神、音楽を楽しむの図」が、建替えに当たって再現されています。新レリーフ6体はすべて旧レリーフと同じ大きさで製作されましたが、建物の大きさは旧ビルと新ビルでは大きく異なっており、特に新レリーフを設置する壁面は旧ビルの壁面に比べて広いスペースが確保されています。また、旧レリーフの最高高さは20mでしたが、新レリーフは最高40mと高い位置にあります。そのため、旧レリーフの配置を基本としながら、ビル全体の形状も考慮した上、旧レリーフの配置よりも「太陽」を高く、「牧神(鳥)」を低く配置し、バランスをとっています。また、旧レリーフは建物に埋め込まれていましたが、新レリーフは壁面から10cm浮いて取り付けられていることにより影が出て、それが、レリーフのシルエットをより強調しています。
 レリーフの再現については、大塚オーミ陶業株式会社さんのホームページに詳しいレポートがあります。
http://www.ohmi.co.jp/report/index.php?topics2_category_pk=1464062648


第1回大阪市パノラマ地図検定解説編はこちらからどうぞ。
http://osakakochizu.blogspot.jp/2016/09/blog-post_8.html

第2回大阪市パノラマ地図検定解説編はこちらからどうぞ。
http://osakakochizu.blogspot.jp/2016/10/blog-post_5.html

2016年11月14日月曜日

今週の今昔館(33) 20161114

〇今昔館のあまり知られていない展示(その33)
 近世のフロアのあまり知られていない展示の13回目は、こちらの写真です。
 今昔館にお越しになったことのある方は見たことのある風景だと思いますが、注目していただきたいのは、棒の先にあるサインです。さて、それぞれ、何のお店を表わしているのでしょうか?何をデザインしたものでしょうか?(猫は今回は関係ありません。)

 江戸の町では商店の看板は路上に立てた柱に屋根付きの看板を取り付けた立て看板が一般的であったのに対して、大坂では道路が狭く往来の邪魔になるため立て看板を作ることはなく、店の軒下に通りと直行する方向に看板が吊られていました。通りを歩いていると自然とその店で商っている品物や店印、店名などが目に入ってきます。
 こうした吊り看板に対して、薬屋など大きな店ではさらに豪華な看板が用いられていました。屋根看板と言って、庇の上に屋根付きの墨漆仕上げに彫り文字の立派な看板が作られていました。今昔館の合薬屋「ウルユス」の看板については、今週の今昔館(25)でご紹介しました。
http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/09/blog-post_19.html

 このほかにも、特色のある看板がありました。「浪華買物獨案内」に掲載された阿波座戸屋町の畑屋次兵衛店には、棒の先に月星の印がついた図が描かれ、「屋根より此目印出し有之」と書かれています。今昔館の建具屋の看板はこれを再現したものです。襖の引手をデザインしたものと言われています。
 「大坂商工銘家集」や「二千年袖鑑」に紹介されている小間物屋には、軒先にドーナツ型の看板が描かれ、髪を結び束ねる紐の元結(もとゆい)をかたどったものと考えられます。小間物屋に共通した看板だったのです。今昔館の小間物屋の軒先にある、白い浮き輪のような形の看板はこれを再現したものです。

 このように看板はその店の顔として重視され、道行く人々の人目を引くよう、さまざまな工夫が凝らされていました。



〇今週のイベント・ワークショップ

11月14日、16日~19日、25日、26日
町家ツアー

住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」の9階「なにわ町家の歳時記」では、楽しいガイドツアーをおこなっております。当日ご来館の方は、自由に参加していただけます。
※団体でお越しの場合は、事前にお申し込みください。
開催日:平日・土曜日(※日曜日・祝日は下記のとおり、町家衆による町家ツアーがあります。)
時 間:11:30、14:30

11月20日、23日、27日
町家衆イベント 町家ツアー

江戸時代大坂の町並みについて町の特色や見どころをわかりやすく解説します。
時 間:13:10~14:00


11月19日(土)、20日(日)
関西文化の日(11/19・20)は今昔館の入館料(常設展)が無料です!

町家衆イベント 楽市町家
13時~16時

ぜんざい
11時~
100円/杯(なくなり次第終了)

11月20日(日) 町家衆イベント 連鶴(有料)
折鶴がいくつもつながった連鶴。
一枚の紙から折るところに特色があります。
作り方を詳しくお教えします。
開催日:奇数月の第3日曜
時 間:14:00~15:30

11月26日(土) 町家衆イベント ワークショップ『千代紙ろうそくを作ろう』
①13時30分 ②14時30分
当日先着各回10名、参加費200円
*当日10時より受付で参加整理券を販売します
講師:大阪くらしの今昔館 町家衆

11月27日(日) 町家衆イベント 絵本で楽しい時間
むかし話などの絵本を表情豊かに読み聞かせます。
じっくりとお聞きください。
開催日: 第4日曜
時 間:14:30~15:00


そのほかのイベント・ワークショップはこちらからご覧いただけます。
そのほか定期開催のイベントはこちらからご覧ください。

大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからどうぞ。

 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。
「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。≫http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。≫http://www.sumai-machi-net.com/howtouse



2016年11月9日水曜日

大阪市パノラマ地図検定解説編(3-6)

大正13年発行の「大阪市パノラマ地図」から出題した、大阪市パノラマ地図検定の解説編です。今回は第3回の第6問を解説します。


(第3回 第6問)
下の地図は大阪市パノラマ地図のある部分を拡大したものです。
A 地図の中心の赤丸印の場所には当時何があったでしょうか?(建物名、橋名など)
B 現在はどうなっているでしょうか?
C 江戸時代天保年間には何があったでしょうか?
D 「のだばし」が架かっている川の名前は?

 配点は、A、Dは各2点、B、Cは各3点とします。


解答と解説
A 日本国有鉄道「片町駅」

B 西日本旅客鉄道JR東西線敷地
C 大坂三郷北組相生西ノ町および東ノ町の町家
D 鯰江川

 片町駅(かたまちえき)は、大阪市都島区にあった駅で、鯰江川(現在は埋立)に架かっていた野田橋を挟んで西日本旅客鉄道(JR西日本)片町線(学研都市線)の終点駅と、京阪電気鉄道京阪本線の天満橋駅~京橋駅間の駅の2つの駅がありましたが、京阪の駅は複々線高架化工事の際に、JRの駅は東西線の開業に伴い、いずれも廃止されました。また、大阪市電天満橋善源寺町線片町停留場も近くにありました。

浪華名所獨案内(天保年間)の片ハラ町(片原町)付近
天保新改攝州大阪全圖(天保8(1837)年発行)の片丁(片町)付近
 JR西日本の片町駅は、明治28年(1895)に浪速鉄道の四条畷駅~当駅間の開業と同時に、都心側のターミナルとして、東成郡鯰江村大字新喜多新田(当時)に建設された駅です。当時の大阪市街の北東端であった相生町にできる限り近接させた駅で、駅名の「片町」は、相生町が1708年まで京街道の北側にしか家屋がない片側町「京橋片原町」だったことに由来します。
 江戸時代の地図には、片ハラ町、片丁の記載がみられます。
 鯰江川と寝屋川に挟まれた狭小な土地で駅前が非常に狭かったため、関西鉄道への合併後、一時は放出駅から路線を分岐させる形で近隣に設けられた網島駅へ旅客扱いを譲り、貨物駅となったこともありましたが、国有化後に城東線(現在の大阪環状線)の京橋駅に隣接するようにして設けられた片町駅京橋口を京橋駅として分離し、それと入れ替わる形で網島駅を廃止したことによって、片町線の起点駅としての地位に落ち着きました。
 しかし、京橋駅まで営業キロが0.5kmと短く、京橋駅が城東線や京阪本線との乗り換え駅として栄える反面、利用者が少なく、接続もない当駅の地位は低下したため、平成9年(1997)のJR東西線開業に伴い廃止となりました。同時に片町駅と入れ替わるようにしてJR東西線に大阪城北詰駅が近くに開業しています(同駅の仮称は「片町駅」でした)。
 廃止後も路線名(片町線)にその名を残していますが、JR西日本では「学研都市線」の愛称で案内しています。
 廃止から10年以上が経ちますが、「片町」という地名への愛着から、大阪城北詰駅を「片町」や「片町」を含む駅名に改称してほしいという意見もなお存在しています。

 京阪電気鉄道の片町駅は、京阪本線が、明治43年(1910)に天満橋駅~五条駅間で開業した際に設置された中間駅です。当初は片町交差点東側で野田橋駅と称し、区間急行と普通が停車していました。線路敷は寝屋川橋梁東側から片町交差点まで道路併用軌道でしたが、これを専用軌道化した昭和30年(1955)に片町交差点西側に移転し、「片町駅」と改称しました。この片町交差点では、大阪市電が廃止された昭和43年(1968)まで平面交差を行っていました。
 その後、天満橋駅~旧蒲生信号所間の高架複々線化工事のために京都方に移転、国鉄駅とは若干離れるようになりました。さらに、新高架線では駅の設置が困難で、高架線の京橋駅が地上線の京橋駅より片町駅寄りに設置されることになったため、昭和44年(1969)に廃止されました。代替として高架線京橋駅西側に片町口が設置されています。

大阪市街大地図(大正14年発行)の片町付近
明治41年、昭和4年、昭和42年、最近の地形図の片町付近(今昔マップ3より)
第3回第7問はこちらからどうぞ。
http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/11/blog-post_16.html
第2回第1問はこちらからどうぞ。
http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/08/blog-post_10.html
第1回第1問はこちらからどうぞ。
http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/06/blog-post_1.html


2016年11月7日月曜日

今週の今昔館(32) 20161107

〇今昔館のあまり知られていない展示(その22)
 近世のフロアのあまり知られていない展示の12回目は、こちらの写真です。
 目を引くのは火の見櫓で、今昔館の写真撮影スポットの一つとして人気がありますが、火の見櫓だけでは正解になりません。火の見櫓が載っている建物は何でしょうか?

 答えは「町会所」、会所屋敷とも呼ばれていました。むしこ窓や出格子などの外観は一般の町家と変わりませんが、屋根の上にそびえる火の見櫓が目印になっていました。町の共有施設としてもっとも重要な役割を果たす施設でした。

 今昔館の町会所は、江戸時代に書かれた「守貞謾稿」に描かれた会所屋敷をもとにして再現されています。屋根の上には半鐘を釣った火の見櫓が載り、大戸の奥には式台が見えています。梯子には「町役人之外登るべからず」と書かれた板が掛けられています。半鐘は火事場の遠近によって、拍つ間隔の急寛を変えて知らせたと記されています。
 元禄8年の統計では大坂三郷551町のうち253町に町会所がありました。特に三郷の中心地である中船場や天満では7割の町に町会所が設けられるほどに普及していました。「浪華百事談」に「町々年寄は其町の会議を行ふか。又は毎月判行と云い、町内に住居せる者の戸籍帳に捺印せしむなどの時に、出頭する所の家を毎町に設く。是を会所とよび、其家には物書を雇ひ置く。其者を会所守り、亦は町代とよびしなり」と町会所の役割を紹介しています。町会所には町政にかかわる水帳絵図・宗旨巻・人別帳・寺々印鑑帳・証文類・御印付訴状・家賃割印帳などの諸帳簿が保管されていました。

 町会所は寄合だけでなく、奉行所からの触書が掲示され、町内で行われる祭礼の場にもなるなど、様々なコミュニティに関わる機能も持っていました。町会所の中には屋上に火の見櫓を設置したものもありました。その起源は、宝暦9年(1759)に大坂三郷の町内で八町ごとに組合を作らせ、長梯子をかけて半鐘を備えさせたものでした。安永8年(1779)には、北組31町、南組25町、天満組16町の各町の会所の屋上に火の見櫓が設けられていました。大坂の町会所は一町内にとどまらず、複数町の共同施設としても利用されていたのです。解説は谷直樹館長の著書「町に住まう知恵」を参考にさせていただきました。

 町会所の玄関には式台を設けて格式的な構成とするのが通例で、座敷には床の間が設けられていました。また、玄関わきには町内用水や地蔵の祠が置かれていました。



〇今週のイベント・ワークショップ

11月7日、9日~12日、14日、16日~19日
町家ツアー

住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」の9階「なにわ町家の歳時記」では、楽しいガイドツアーをおこなっております。当日ご来館の方は、自由に参加していただけます。
※団体でお越しの場合は、事前にお申し込みください。
開催日:平日・土曜日(※日曜日・祝日は下記のとおり、町家衆による町家ツアーがあります。)
時 間:11:30、14:30

11月13日、20日
町家衆イベント 町家ツアー

江戸時代大坂の町並みについて町の特色や見どころをわかりやすく解説します。
時 間:13:10~14:00


11月12日(土)
イベント 町家寄席-落語

江戸時代にタイムスリップ!大坂の町で、落語をきいてみませんか
出演:桂出丸 桂文五郎
14時~15時

町家衆イベント 町の解説
江戸時代の大坂では人々はどのように暮らしていたのか。
当時の史料(複製)とともに町会所で詳しく説明します。
開催日:第1・3日曜
時 間:13:00~16:00

11月13日(日) 町家衆イベント おじゃみ(有料)
古布を四角く切って縫い合わせて作るおじゃみ(お手玉)。
作り方をていねいにお教えします。
開催日:第2日曜
時 間:14:00~16:00

11月19日(土)、20日(日)
関西文化の日(11/19・20)は今昔館の入館料(常設展)が無料です!

町家衆イベント 楽市町家
13時~16時

ぜんざい
11時~
100円/杯(なくなり次第終了)

11月20日(日) 町家衆イベント 連鶴(有料)
折鶴がいくつもつながった連鶴。
一枚の紙から折るところに特色があります。
作り方を詳しくお教えします。
開催日:奇数月の第3日曜
時 間:14:00~15:30


そのほかのイベント・ワークショップはこちらからご覧いただけます。
そのほか定期開催のイベントはこちらからご覧ください。

大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからどうぞ。

 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。
「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。≫http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。≫http://www.sumai-machi-net.com/howtouse



2016年11月2日水曜日

大阪市パノラマ地図検定解説編(3-5)

大正13年発行の「大阪市パノラマ地図」から出題した、大阪市パノラマ地図検定の解説編です。今回は第3回の第5問を解説します。


(第3回 第5問)
下の地図は大阪市パノラマ地図のある部分を拡大したものです。
A 地図の中心の赤丸印の場所には当時何があったでしょうか?(建物名、橋名など)
B 現在はどうなっているでしょうか?
C 江戸時代天保年間には何があったでしょうか?
D 扇橋の架かっている川の名前は?

 配点は、A、Dは各2点、B、Cは各3点とします。

解答と解説
A 日本国有鉄道「天満駅」
B 西日本旅客鉄道「天満駅」
C 大坂三郷天満組池田町および夫婦町の町家と川崎村
D 天満堀川


 当時は現在のJR大阪環状線は環状になっておらず、大阪駅から東側は城東線と呼ばれており、地上を走っていました。このため、天神橋筋商店街の一筋西側に市電の敷設と合わせて天神橋西筋ができる際に、跨線橋によって国鉄を跨いでいました。パノラマ地図にその姿が描かれています。昭和8年(1933)に高架化され現在の天満駅が建設されました。
 ガード下のアーケードの天神橋筋商店街は自称「日本一長い商店街」で、古称は十丁目筋商店街。浪華名所獨案内にも、「十丁目筋と云う」と記されています。
 北側には天満市場があり、天満市場と天神橋筋商店街の間に商店が密集しており、駅周辺は大規模な商店街となっています。また、飲食店も数多く存在しており、庶民的な市場・盛り場となっています。


 天満駅周辺は江戸時代には大阪三郷天満組の北のはずれでした。浪華名所獨案内を見ると、東寺町より北には町の名前がなく、天保新改攝州大阪全圖を見ると、丁与力、丁同心より北には夫婦池があり、天神橋筋に沿って弁天丁・池田丁の文字がありますが、その東西には町の表示はなく農地が広がっていたと想定されます。
浪華名所獨案内(天保年間)の天満付近
天保新改攝州大阪全圖(天保8(1837)年発行)の天満付近

 現在の大阪環状線の東半分となる区間は、大阪鉄道 (初代) の本線(現在の関西本線)と官設鉄道東海道本線の間を結ぶために建設されましたが、その玉造駅 - 梅田駅(現在の大阪駅)間の開業時(明治28年)に、京橋駅と共に設置されたのが天満駅でした。駅名は、駅南方一帯の地名「天満」(大阪天満宮に由来・大阪三郷の天満組)に因んだものです。
 その後明治33年に関西鉄道が大阪鉄道の路線を承継し関西鉄道の駅となり、明治40年に関西鉄道が国有化され、国有鉄道の駅となりました。昭和8年(1933)に高架化され、昭和42年には現在の1番のりばが増設されました。
 「大阪環状線改造プロジェクト」の一環として、2015年3月22日から発車メロディにaikoの「花火」を導入している。大阪天満宮で夏に開かれる天神祭にちなんでおり、大阪出身のaikoの曲です。
 京阪電鉄の天満橋と名前が似ているためによく間違えられますが、約2km離れています。

大阪市街大地図(大正14年発行)の天満付近
明治41年、昭和4年、昭和42年、最近の地形図の天満駅付近(今昔マップ3より)

第3回第6問はこちらからどうぞ。
http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/11/blog-post_09.html
第2回第1問はこちらからどうぞ。
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第1回第1問はこちらからどうぞ。
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2016年10月31日月曜日

今週の今昔館(31) 20161031

〇今昔館のあまり知られていない展示(その21)
 近世のフロアのあまり知られていない展示の11回目は、こちらの写真です。
 井原西鶴が著した「諸艶大鏡」いわゆる「好色二代男」や、喜多川守貞が著した「守貞謾稿」によると、江戸時代前期には京・大坂の庶民の間ではすでに誓文払いが定着しており、江戸では恵比寿講と呼ばれていたことがわかります。
 この誓文払いは、江戸時代から現在へ続く民間信仰と言えましょう。10月20日になると京都の人々はこぞって四条寺町東入にある冠者殿へ参詣していたといいます。普段客をだました罪を免れるようにと祈る行事です。そして京・大坂の商家では、罪滅ぼしのためと称して安売りを行っていました。冠者殿の祭神には諸説ありますが、一般的には誓詞に背いて源義経の堀川の館に夜討ちをかけて殺された土佐房昌俊を祀るといわれます。つまり起請返しの神として信仰していたのでしょう。
 大坂では、古くから呉服屋がこの誓文払いを行っていました。「浪花の梅」に見られるように、店先に棒を突き出すディスプレーを施し、端切れまでも商ったのです。普段買えない高価なものから端切れまで、何でも商うのが大坂スタイルということができます。


 現代、女性に人気の高いバーゲンセール。実はすでに江戸時代の大坂では、この誓文払いという形で展開していたのです。バーゲンの伝統は江戸時代にすでに成立していたのです。
 大阪くらしの今昔館の9階江戸時代のフロアでは、季節の移ろいに合わせて江戸時代の暦に沿った季節感のある浪花の展示を行っています。今年は11月19日が旧暦10月20日に当たります。11月2日から18日まで、呉服屋に誓文払いを復元しています。



〇資料紹介「浪花行事十二月 時雨月 誓文払」 二代貞信 作、昭和14(1939)年

 当館の所蔵資料「浪花行事十二月」には、江戸時代の浪花の年中行事風俗が旧暦の月ごとに描かれています。今月ご紹介するのは、旧暦10月(新暦11月)の行事「時雨月 誓文払」です。

 大坂の呉服屋では、11月から12月の時期に現代でいうバーゲンセール、「誓文払」を行っていました。着物を仕立てる際に余った反物の端切れを竿に吊るし、軒から通りに突き出して販売しました。色とりどりの布地がはためく軒先で、品定めをする子連れの女性と、ねじり鉢巻をして道行く女性たちに声をかける店主の姿は、年末の商家の風物詩といえるでしょう。



〇今週のイベント・ワークショップ

10月31日、11月2日、4日~5日、7日、9日~12日
町家ツアー

住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」の9階「なにわ町家の歳時記」では、楽しいガイドツアーをおこなっております。当日ご来館の方は、自由に参加していただけます。
※団体でお越しの場合は、事前にお申し込みください。
開催日:平日・土曜日(※日曜日・祝日は下記のとおり、町家衆による町家ツアーがあります。)
時 間:11:30、14:30

11月3日、6日、13日
町家衆イベント 町家ツアー

江戸時代大坂の町並みについて町の特色や見どころをわかりやすく解説します。
時 間:13:10~14:00


11月3日(木・祝) イベント 乙女文楽
上方の地で生まれ親しんだ芸能。磨かれた芸の技をご覧ください
出演:乙女文楽座
14時~15時

11月5日(土) ワークショップ 『ふくろうのストラップを作ろう』
各回先着10名、1人300円
*当日10時より受付で参加整理券を販売します
①13時30分 ②14時30分

11月6日(日) 町家衆イベント 今昔語り
大阪に残る昔ばなしを、町家の座敷でお聞かせします。
あたたかくなつかしい風情をお楽しみください。
開催日:お茶会と同日
時 間:14:30~15:00

11月6日(日) 町家衆イベント 町の解説
江戸時代の大坂では人々はどのように暮らしていたのか。
当時の史料(複製)とともに町会所で詳しく説明します。
開催日:第1・3日曜
時 間:13:00~16:00

11月6日(日) イベント 町家でお茶会
町家の座敷で「ほっと一息」一服いかがですか
先着順50名、茶菓代300円
※当日10時30分より8階ミュージアムショップでお茶券を販売します
協力:大阪市役所茶道部
13時~15時

11月12日(土)
イベント 町家寄席-落語

江戸時代にタイムスリップ!大坂の町で、落語をきいてみませんか
出演:桂出丸 桂文五郎
14時~15時

町家衆イベント 町の解説
江戸時代の大坂では人々はどのように暮らしていたのか。
当時の史料(複製)とともに町会所で詳しく説明します。
開催日:第1・3日曜
時 間:13:00~16:00

11月13日(日) 町家衆イベント おじゃみ(有料)
古布を四角く切って縫い合わせて作るおじゃみ(お手玉)。
作り方をていねいにお教えします。
開催日:第2日曜
時 間:14:00~16:00

11月19日(土)、20日(日)
関西文化の日(11/19・20)は今昔館の入館料(常設展)が無料です!

町家衆イベント 楽市町家
13時~16時

ぜんざい
11時~
100円/杯(なくなり次第終了)



そのほかのイベント・ワークショップはこちらからご覧いただけます。
そのほか定期開催のイベントはこちらからご覧ください。

大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからどうぞ。

 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。
「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。≫http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。≫http://www.sumai-machi-net.com/howtouse



2016年10月26日水曜日

大阪市パノラマ地図検定解説編(3-3、3-4)

大正13年発行の「大阪市パノラマ地図」から出題した、大阪市パノラマ地図検定の解説編です。今回は第3回の第3問と第4問を合わせて解説します。

(第3回 第3問)
下の地図は大阪市パノラマ地図のある部分を拡大したものです。
A 地図の中心の赤丸印の場所には当時何があったでしょうか?(建物名、橋名など)
B 現在はどうなっているでしょうか?
C 江戸時代天保年間には何があったでしょうか?
D 「しほみばし」の架かっている川の名前は?

  配点は、A、Dは各2点、B、Cは各3点とします。


解答と解説
A 大阪高野鉄道「汐見橋駅」
B 南海電気鉄道高野線「汐見橋駅」
C 難波村の田地
D 道頓堀川

 現在は南海高野線は汐見橋から高野山まで直通とはなっていません。近年まで駅構内に「南海沿線観光案内図(昭和30年代)」が掲示されていました。詳しくはこちらの記事をどうぞ。
http://www.sankei.com/west/news/160323/wst1603230038-n1.html



(第3回 第4問)
下の地図は大阪市パノラマ地図のある部分を拡大したものです。
A 地図の中心の赤丸印の場所には当時何があったでしょうか?(建物名、橋名など)
B 現在はどうなっているでしょうか?
C 江戸時代天保年間には何があったでしょうか?
D 「にぎはいばし(賑橋)」の架かっている川の名前は?

  配点は、A、Dは各2点、B、Cは各3点とします。

解答と解説
A 日本国有鉄道「湊町駅」
B 西日本旅客鉄道「JR難波駅」
C 難波村の田地
D 難波入堀川

 JR関西本線(大和路線)の終着で、湊町駅からの駅名の変更に当たり、近接の地下鉄、近鉄、阪神と区別するため、JRを付加した駅名「JR難波駅」が正式名となっています。


 江戸時代の大坂三郷南組の市街地は道頓堀川の南岸までで、そこから南は難波村の田地でした。
浪華名所獨案内(天保年間)の難波村付近
天保新改攝州大阪全圖(天保8(1837)年発行)の難波村付近


 汐見橋駅は、明治33年(1900)に高野鉄道が大小路駅(現・堺東駅)から延伸した際の終着駅にあたる道頓堀駅として開業し、翌明治34年(1901)汐見橋駅に改称されました。明治40年(1907)、 会社合併により高野登山鉄道、大正4年(1915)社名変更により大阪高野鉄道、昭和7年(1922)、会社合併により南海鉄道の駅となりました。かつては貨物専用ヤードも併設していました。
 高野線の起点であり、昭和60年(1985)に大阪市の立体交差事業が行われる以前は、岸ノ里駅(現・岸里玉出駅)以南と直通していたため、当駅から高野線本線との一部区間運転電車が存在していましたが、立体交差事業の実施後は線路が分断されたため直接高野線本線に乗り入れることが不可能となりました。それ以後は高野線本線は難波駅から岸里玉出駅まで南海本線を経由して極楽橋駅に乗り入れる電車のみとなりました。このため当駅からは岸里玉出駅との区間運転の電車だけが運転されており、事実上は支線となっています。このため、汐見橋駅~岸里玉出駅間は汐見橋線(しおみばしせん)という通称でも呼ばれています。当駅と新大阪駅を結ぶ計画路線であるなにわ筋線の開業時には、南海は木津川駅~当駅間を地下化する予定でしたが、最近になって南海のルートについて難波駅接続が有力候補となり、当駅の存続が危ぶまれている状況です。
 道頓堀川には駅名の由来になった汐見橋が架かり、新なにわ筋(大阪府道29号線)が通っています。現在の橋は昭和39年(1964)に架け替えられたものです。開業時は「道頓堀駅」と称しましたが、江戸時代からすでに道頓堀と言えば島之内の対岸にあたる繁華街を指すことが一般的だったこともあり、翌年には汐見橋駅に改称しています。なお、当駅と道頓堀川の間には桜川(埋立てられて現在の千日前通)も流れていました。

 湊町駅は、明治22年(1889)に、大阪鉄道の湊町駅(みなとまちえき、一般駅)として開業し、同社の創業路線である湊町駅~柏原駅間の起点となりました。明治33年(1900)に関西鉄道が承継、明治40年(1907)に国有化され、明治42年(1909)に、日本国有鉄道関西本線所属の駅となりました。
 西側に貨車入換用の線路が広がり、駅操車場内の南端には蒸気機関車の転車台が設けられていました。また、道頓堀川から入堀が開削されていました。南側には留置線が広がり、夜間滞泊の車両が留置されていました。駅には町の東西を結ぶ歩行者用の跨線橋(地元の人は「たかばし」と呼んでいた)がかけられていました。駅の東側の跨線橋上り口付近には、駅職員のための厚生施設(理髪室、浴場)も設けられており、地元の人も利用できたそうです。また、車両が通行できる踏切は駅南側にあり、それも貨車入換線を横切る長さ50m近い踏切だったため、時々「開かずの踏切」となっていました。
 駅開業から平成6年(1994)まで湊町駅(みなとまちえき)と称しており、道頓堀川八丁のひとつである道頓堀湊町(駅開業時は大阪市南区湊町)に開業したことによります。ただし、当時の湊町の範囲は道頓堀川に面した狭小なもので、西成郡難波村(のち大阪市に編入され、難波東円手町)にもまたがっていました(現在の湊町の範囲は1980年に拡大されたもの)。
 1989年の駅移転によって、元来の湊町から完全に離れて難波側にのみ位置するようになり、地下駅化して難波駅や大阪難波駅(当時は近鉄難波駅)と連絡する計画もあったため、1994年9月4日の関西国際空港開港と同日にJR難波駅に改称されました。駅名に「JR」を冠したのはJRグループ各社を通して初めてで、駅名にアルファベットが入ったのも日本では初めてです。


大阪市街大地図(大正14年発行)の京橋口付近
明治41年、昭和22年、昭和42年、最近の地形図の汐見橋駅付近(今昔マップ3より)
明治41年、昭和22年、昭和42年、最近の地形図の湊町付近(今昔マップ3より)


第3回第5問はこちらからどうぞ。
http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/11/blog-post_02.html
第2回第1問はこちらからどうぞ。
http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/08/blog-post_10.html
第1回第1問はこちらからどうぞ。
http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/06/blog-post_1.html