〇収蔵資料紹介 浪花行事十二月 「紅葉月 重陽菊の使」 二代貞信 作、昭和14(1939)年
当館の所蔵資料「浪花行事十二月」には、江戸時代の浪花の年中行事風俗が旧暦の月ごとに描かれています。今月ご紹介するのは、旧暦9月(新暦10月)の行事「紅葉月 重陽菊の使」です。(大阪くらしの今昔館のホームページより)
重陽は五節句(人日・上巳・端午・七夕・重陽)のひとつで、九月九日の菊の咲く時期のため「菊の節句」とも呼ばれます。菊は長寿をもたらし、強い香りで邪気を払うとされました。
久須美祐雋の随筆「浪花の風」によると、重陽には栗や柿・葡萄を用意し、料理には松茸を煮物、魚は鱧を使って客をもてなしたそうです。本図でも秋の収穫物を用いた宴の準備の様子が描かれています。菊が届けられ、奥には松茸とイガグリを提げた男性が続いています。
嘉永二年(一八四九)の「浪花十二月画譜」に「九月の節句は菊の花を以て祝儀とし、長寿を賀す菊酒を飲み、不老長生を得るといふ栗を以て嘉食とし、家々に神に供へ仏に供し、家内打よりこれを祝し食ふ」とあります。
(追記)
陰陽思想では奇数は陽の数であり、陽数の極である9が重なる日であることから「重陽」と呼ばれます。奇数の重なる月日は陽の気が強すぎるため不吉とされ、それを払う行事として節句が行なわれていましたが、九は一桁の数のうち最大の「陽」であり、特に負担の大きい節句と考えられていました。後、陽の重なりを吉祥とする考えに転じ、祝い事となったものです。邪気を払い長寿を願って、菊の花を飾ったり、菊の花びらを浮かべた酒を酌み交わして祝ったりしていました。また前夜、菊に綿をおいて、露を染ませ、身体をぬぐうなどの習慣がありました。現在では、他の節句と比べてあまり実施されていないのは、寂しいことです。
重陽の節句とともに注目されているのが、「後の雛」という風習です。後の雛とは、桃の節句(雛祭り)で飾った雛人形を、半年後の重陽の節句で虫干しを兼ねて再び飾り、健康、長寿、厄除けなどを願う風習で、江戸時代に庶民の間に広がったといわれています。
日本の行事は繰り返されるのが特徴なので、後にくる行事には「後の」をつけて区別しています。お正月に対してお盆の藪入りは「後の藪入り」、秋のお彼岸は「後の彼岸」、秋の衣がえは「後の衣がえ」、十五夜のあとの十三夜は「後の月見」、そして重陽には「後の雛」があり、「後の」という語感が何とも優しげですね。
後の雛には、貴重な雛人形を1年間しまい込まず、半年後に出して虫干しをすることで、痛みを防ごうという暮らしの知恵も込められています。また、雛人形は女性の幸せの象徴であり、人の分身として災厄を引き受ける役目もあるので、感謝と祈りを込めて大事に扱い、長持ちさせることが長生きにも通じると考えられています。
桃の節句では桃の花が添えられますが、重陽は菊の節句ということで菊の花が添えられ、華やかな中にも落ち着いた大人の雰囲気が漂います。どちらかというと、桃の節句が子ども向きであるのに対し、重陽の節句は大人向きといえるため、後の雛は”大人の雛祭り“ととらえることもできます。最近は、重陽の節句に向けた雛人形もでており、後の雛復活の追い風となっています。年を重ね、自分のために雛人形を求めるというのも素敵ですね。
雛人形を愛でながら菊の花びらを浮かべた菊酒をのみ、深まる秋に人生を重ねるひと時は、まさに大人の雛祭り。そして春になると健やかな成長を願う雛祭りがやってきて、再び豊穣の秋へと向かいます。行事を通じて、季節の巡りとともに私達は生きているということが実感できますね。
後の雛は、重陽の日付(最大の陽数9が重なる日)を尊重して9月9日、昔の季節感を活かして旧暦の9月9日(新暦では10月の中ごろにあたります)、月遅れの10月9日などに楽しむことができます。家族みんなで楽しむもよし、自分へのご褒美にするもよし、女子会で盛り上がるのもよし。行事の心にふれながら、心豊かなひとときをお過ごしください。
(以上、ウィキペディアとAll About(暮らし)から引用させていただきました。)
今年の重陽の節句(旧暦の9月9日)は10月9日です。ちょうど1か月のずれになっています。旧暦で考えると、重陽(ちょうよう)の節句が「菊の節句」とも呼ばれることが納得できます。
〇今昔館のあまり知られていない展示(その17)
近世のフロアのあまり知られていない展示の7回目は、こちらの写真です。
裏長屋の4軒のうち、一番左の家には「かしや」の張り紙があります。
さて、この家はどういう家でしょうか?
「かしや」は、「菓子屋」ではなく「貸し屋」です。「空き家」のことで、「賃貸住宅の入居者募集中です。」という張り紙です。さて、家の中を覗いてみてください。家の中には畳も襖も何もありません。どういうことでしょうか?
江戸時代の大坂の借家は現代とは異なり、家の中の畳や障子や襖、流しやかまどといった設備は、入居する店子がすべて自分で用意するという仕組みでした。これを「裸貸し」と呼んでいました。裸とは構造体の部分だけで貸すという意味で、今風にいうと「スケルトン賃貸」のことです。
屋根と外壁、柱と梁、床板等の「戸じまりと雨じまいを保証する部分」は大家さんの所有物で、それ以外はすべて店子が自分で調達する。引っ越しの時は、家具と同じように畳や襖を持ち運んだり、あるいは、中古の畳や襖を売ったり借りたりすることができました。
こういう仕組みが江戸時代に広く普及していたことは世界的に見ても驚くべきことです。大家と店子の役割分担を決めておくことでトラブルが少なく、全体として合理的なシステムでした。
それが成立するにはいくつかの条件が必要です。まず、大坂では借家が多かったこと。全体の9割を超えていたといわれます。次に、技術的な面では、関西間(京間)の寸法体系が非常に重要です。江戸間に比べて大きいというサイズの面よりももっと重要な点は、柱の内側から内側までの寸法が三尺一寸五分という畳の短辺の寸法の倍数となっていることです。畳割、内法制(うちのりせい)を採用しているのです。これに対して江戸間は柱の中心から中心までが三尺の倍数となっています。柱割、心々制を採用しています。
この点は、裸貸しを行う上で決定的な違いです。関西間では畳の寸法はすべて同じですが、江戸間では同じ部屋の中でも畳の大きさが違います。関西間だと、引っ越しの時に畳を持っていけば次の家でも使えるという点が大きな特徴です。畳の寸法が同じということは、障子や襖、その他の建具類、家具類、道具類の寸法が統一されていて使い回しができました。
もちろん、その寸法で精度よく家を建てる職人、畳や建具を作る職人がいることが大前提となります。
これによって、建具などの見込み生産が可能になり、商品化されます。新品だけでなく中古品も含めて流通していました。こういう流通面のバックアップもあって、裸貸しが成立していたのです。
お金に余裕がある人は、新品を、そうでない人は中古品を、しかも、何度も使った物はさらに安く買う事が出来たといいます。住み手は引っ越すときに、持っていってもいいですし、また売る事もできたのです。つまり内装だけが市場に流通していたのです。
家財道具はもちろん、畳や建具まで借りる人が自分の好みや経済事情に合わせて道具屋から購入したり、「損料屋」と呼ばれるレンタルショップで中古の家財道具を借りたりして暮らしていたのです。道具類の汎用性が高かったため、物の売り買いが活発になったり、生活道具がレンタルしやすくなったりすることでエコロジーにも役立ちました。
裸貸しのメリットをまとめると次の3点になります。
・大家と店子の責任範囲が明確である。
普通の賃貸では、内装を汚したり設備を壊したりと、その修繕費をめぐってトラブルになりやすい。しかし、裸貸しシステムであれば、汚れ等が生じやすい内装造作は店子負担でありトラブルの心配がない。
・賃貸でありながら好みや財力にあわせた内装造作にできる。
内装造作や設備はお仕着せではなく、自分の好みのものにできる。自分の懐具合に応じて、新品か中古か選択することができ、高級感をもたせることもできれば、最低限の内装にもできる。
・内装造作や設備を流通させる仕事を生み出す。
家具はもとより、畳や襖、かまど等の内装造作や設備を貸し出したり、中古を引き取ったりする、いわばインフィル流通産業という仕事を生み出す。これにより、それらを無駄にしないエコな社会を実現する。
プレハブ住宅産業は戦後関西から始まりましたが、その下地となる産業が江戸時代にすでにできていたということが言えます。
なお、「かしや」の張り紙が真っ直ぐでなく斜めになっているのは、幕末に出版された「街能噂(ちまたのうわさ)」に東西比較の絵があり、江戸ではまっすぐに張るのに対して、大坂では斜めにされていました。
〇今週のイベント・ワークショップ
10月3日、5日~8日、10日、12日~15日
町家ツアー
住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」の9階「なにわ町家の歳時記」では、楽しいガイドツアーをおこなっております。当日ご来館の方は、自由に参加していただけます。
※団体でお越しの場合は、事前にお申し込みください。
開催日:平日・土曜日(※日曜日は下記のとおり、町家衆による町家ツアーがあります。)
時 間:11:30、14:30
10月9日、16日
町家衆イベント 町家ツアー
江戸時代大坂の町並みについて町の特色や見どころをわかりやすく解説します。
時 間:13:10~14:00
10月8日(土)
ワークショップ 『和風マグネットを作ろう』
①13時30分 ②14時30分
各回先着10名、参加費:300円
*当日10時より受付で参加整理券を販売します
10月9日(日)
町家衆イベント おじゃみ
古布を四角く切って縫い合わせて作るおじゃみ(お手玉)。
作り方をていねいにお教えします。
開催日:第2日曜
時 間:14:00~16:00
10月9日(日)
イベント 子ども落語大会 於:天満天神繁昌亭 9/11(日)に開催の、第11回子ども落語大会の入賞者が天満天神繁昌亭の舞台に立ちます
10時~12時 観覧無料
場所 天満天神繁昌亭
(大阪市営地下鉄 谷町線・堺筋線南森町駅、JR東西線大阪天満宮駅④B出口から徒歩3分)
10月15日(土)
町家衆イベント 折り紙(有料)
季節に合わせてさまざまな折り紙をお教えします。
作品は持ち帰っていただきます。
開催日:偶数月の第3土曜
時 間:13:30~15:00
10月16日(日)
イベント 町家でお茶会
町家の座敷で「ほっと一息」一服いかがですか
先着順50名、茶菓代300円
※当日10時30分より8階ミュージアムショップでお茶券を販売します
協力:大阪市役所茶道部
13時~15時
10月16日(日)
町家衆イベント 今昔語り
大阪に残る昔ばなしを、町家の座敷でお聞かせします。
あたたかくなつかしい風情をお楽しみください。
開催日:お茶会と同日
時 間:14:30~15:00
10月16日(日)
町家衆イベント 町の解説
江戸時代の大坂では人々はどのように暮らしていたのか。
当時の史料(複製)とともに町会所で詳しく説明します。
開催日:第1・3日曜
時 間:13:00~16:00
そのほかのイベント・ワークショップはこちらからご覧いただけます。
そのほか定期開催のイベントはこちらからご覧ください。
当館の所蔵資料「浪花行事十二月」には、江戸時代の浪花の年中行事風俗が旧暦の月ごとに描かれています。今月ご紹介するのは、旧暦9月(新暦10月)の行事「紅葉月 重陽菊の使」です。(大阪くらしの今昔館のホームページより)
重陽は五節句(人日・上巳・端午・七夕・重陽)のひとつで、九月九日の菊の咲く時期のため「菊の節句」とも呼ばれます。菊は長寿をもたらし、強い香りで邪気を払うとされました。
久須美祐雋の随筆「浪花の風」によると、重陽には栗や柿・葡萄を用意し、料理には松茸を煮物、魚は鱧を使って客をもてなしたそうです。本図でも秋の収穫物を用いた宴の準備の様子が描かれています。菊が届けられ、奥には松茸とイガグリを提げた男性が続いています。
嘉永二年(一八四九)の「浪花十二月画譜」に「九月の節句は菊の花を以て祝儀とし、長寿を賀す菊酒を飲み、不老長生を得るといふ栗を以て嘉食とし、家々に神に供へ仏に供し、家内打よりこれを祝し食ふ」とあります。
(追記)
陰陽思想では奇数は陽の数であり、陽数の極である9が重なる日であることから「重陽」と呼ばれます。奇数の重なる月日は陽の気が強すぎるため不吉とされ、それを払う行事として節句が行なわれていましたが、九は一桁の数のうち最大の「陽」であり、特に負担の大きい節句と考えられていました。後、陽の重なりを吉祥とする考えに転じ、祝い事となったものです。邪気を払い長寿を願って、菊の花を飾ったり、菊の花びらを浮かべた酒を酌み交わして祝ったりしていました。また前夜、菊に綿をおいて、露を染ませ、身体をぬぐうなどの習慣がありました。現在では、他の節句と比べてあまり実施されていないのは、寂しいことです。
重陽の節句とともに注目されているのが、「後の雛」という風習です。後の雛とは、桃の節句(雛祭り)で飾った雛人形を、半年後の重陽の節句で虫干しを兼ねて再び飾り、健康、長寿、厄除けなどを願う風習で、江戸時代に庶民の間に広がったといわれています。
日本の行事は繰り返されるのが特徴なので、後にくる行事には「後の」をつけて区別しています。お正月に対してお盆の藪入りは「後の藪入り」、秋のお彼岸は「後の彼岸」、秋の衣がえは「後の衣がえ」、十五夜のあとの十三夜は「後の月見」、そして重陽には「後の雛」があり、「後の」という語感が何とも優しげですね。
後の雛には、貴重な雛人形を1年間しまい込まず、半年後に出して虫干しをすることで、痛みを防ごうという暮らしの知恵も込められています。また、雛人形は女性の幸せの象徴であり、人の分身として災厄を引き受ける役目もあるので、感謝と祈りを込めて大事に扱い、長持ちさせることが長生きにも通じると考えられています。
桃の節句では桃の花が添えられますが、重陽は菊の節句ということで菊の花が添えられ、華やかな中にも落ち着いた大人の雰囲気が漂います。どちらかというと、桃の節句が子ども向きであるのに対し、重陽の節句は大人向きといえるため、後の雛は”大人の雛祭り“ととらえることもできます。最近は、重陽の節句に向けた雛人形もでており、後の雛復活の追い風となっています。年を重ね、自分のために雛人形を求めるというのも素敵ですね。
雛人形を愛でながら菊の花びらを浮かべた菊酒をのみ、深まる秋に人生を重ねるひと時は、まさに大人の雛祭り。そして春になると健やかな成長を願う雛祭りがやってきて、再び豊穣の秋へと向かいます。行事を通じて、季節の巡りとともに私達は生きているということが実感できますね。
後の雛は、重陽の日付(最大の陽数9が重なる日)を尊重して9月9日、昔の季節感を活かして旧暦の9月9日(新暦では10月の中ごろにあたります)、月遅れの10月9日などに楽しむことができます。家族みんなで楽しむもよし、自分へのご褒美にするもよし、女子会で盛り上がるのもよし。行事の心にふれながら、心豊かなひとときをお過ごしください。
(以上、ウィキペディアとAll About(暮らし)から引用させていただきました。)
今年の重陽の節句(旧暦の9月9日)は10月9日です。ちょうど1か月のずれになっています。旧暦で考えると、重陽(ちょうよう)の節句が「菊の節句」とも呼ばれることが納得できます。
〇今昔館のあまり知られていない展示(その17)
近世のフロアのあまり知られていない展示の7回目は、こちらの写真です。
裏長屋の4軒のうち、一番左の家には「かしや」の張り紙があります。
さて、この家はどういう家でしょうか?
「かしや」は、「菓子屋」ではなく「貸し屋」です。「空き家」のことで、「賃貸住宅の入居者募集中です。」という張り紙です。さて、家の中を覗いてみてください。家の中には畳も襖も何もありません。どういうことでしょうか?
かしやの玄関 |
かしやの内部 |
江戸時代の大坂の借家は現代とは異なり、家の中の畳や障子や襖、流しやかまどといった設備は、入居する店子がすべて自分で用意するという仕組みでした。これを「裸貸し」と呼んでいました。裸とは構造体の部分だけで貸すという意味で、今風にいうと「スケルトン賃貸」のことです。
屋根と外壁、柱と梁、床板等の「戸じまりと雨じまいを保証する部分」は大家さんの所有物で、それ以外はすべて店子が自分で調達する。引っ越しの時は、家具と同じように畳や襖を持ち運んだり、あるいは、中古の畳や襖を売ったり借りたりすることができました。
こういう仕組みが江戸時代に広く普及していたことは世界的に見ても驚くべきことです。大家と店子の役割分担を決めておくことでトラブルが少なく、全体として合理的なシステムでした。
それが成立するにはいくつかの条件が必要です。まず、大坂では借家が多かったこと。全体の9割を超えていたといわれます。次に、技術的な面では、関西間(京間)の寸法体系が非常に重要です。江戸間に比べて大きいというサイズの面よりももっと重要な点は、柱の内側から内側までの寸法が三尺一寸五分という畳の短辺の寸法の倍数となっていることです。畳割、内法制(うちのりせい)を採用しているのです。これに対して江戸間は柱の中心から中心までが三尺の倍数となっています。柱割、心々制を採用しています。
この点は、裸貸しを行う上で決定的な違いです。関西間では畳の寸法はすべて同じですが、江戸間では同じ部屋の中でも畳の大きさが違います。関西間だと、引っ越しの時に畳を持っていけば次の家でも使えるという点が大きな特徴です。畳の寸法が同じということは、障子や襖、その他の建具類、家具類、道具類の寸法が統一されていて使い回しができました。
もちろん、その寸法で精度よく家を建てる職人、畳や建具を作る職人がいることが大前提となります。
これによって、建具などの見込み生産が可能になり、商品化されます。新品だけでなく中古品も含めて流通していました。こういう流通面のバックアップもあって、裸貸しが成立していたのです。
お金に余裕がある人は、新品を、そうでない人は中古品を、しかも、何度も使った物はさらに安く買う事が出来たといいます。住み手は引っ越すときに、持っていってもいいですし、また売る事もできたのです。つまり内装だけが市場に流通していたのです。
家財道具はもちろん、畳や建具まで借りる人が自分の好みや経済事情に合わせて道具屋から購入したり、「損料屋」と呼ばれるレンタルショップで中古の家財道具を借りたりして暮らしていたのです。道具類の汎用性が高かったため、物の売り買いが活発になったり、生活道具がレンタルしやすくなったりすることでエコロジーにも役立ちました。
裸貸しのメリットをまとめると次の3点になります。
・大家と店子の責任範囲が明確である。
普通の賃貸では、内装を汚したり設備を壊したりと、その修繕費をめぐってトラブルになりやすい。しかし、裸貸しシステムであれば、汚れ等が生じやすい内装造作は店子負担でありトラブルの心配がない。
・賃貸でありながら好みや財力にあわせた内装造作にできる。
内装造作や設備はお仕着せではなく、自分の好みのものにできる。自分の懐具合に応じて、新品か中古か選択することができ、高級感をもたせることもできれば、最低限の内装にもできる。
・内装造作や設備を流通させる仕事を生み出す。
家具はもとより、畳や襖、かまど等の内装造作や設備を貸し出したり、中古を引き取ったりする、いわばインフィル流通産業という仕事を生み出す。これにより、それらを無駄にしないエコな社会を実現する。
プレハブ住宅産業は戦後関西から始まりましたが、その下地となる産業が江戸時代にすでにできていたということが言えます。
なお、「かしや」の張り紙が真っ直ぐでなく斜めになっているのは、幕末に出版された「街能噂(ちまたのうわさ)」に東西比較の絵があり、江戸ではまっすぐに張るのに対して、大坂では斜めにされていました。
街能噂(ちまたのうわさ)に見る張り札の東西比較 |
〇今週のイベント・ワークショップ
10月3日、5日~8日、10日、12日~15日
町家ツアー
住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」の9階「なにわ町家の歳時記」では、楽しいガイドツアーをおこなっております。当日ご来館の方は、自由に参加していただけます。
※団体でお越しの場合は、事前にお申し込みください。
開催日:平日・土曜日(※日曜日は下記のとおり、町家衆による町家ツアーがあります。)
時 間:11:30、14:30
10月9日、16日
町家衆イベント 町家ツアー
江戸時代大坂の町並みについて町の特色や見どころをわかりやすく解説します。
時 間:13:10~14:00
10月8日(土)
ワークショップ 『和風マグネットを作ろう』
①13時30分 ②14時30分
各回先着10名、参加費:300円
*当日10時より受付で参加整理券を販売します
10月9日(日)
町家衆イベント おじゃみ
古布を四角く切って縫い合わせて作るおじゃみ(お手玉)。
作り方をていねいにお教えします。
開催日:第2日曜
時 間:14:00~16:00
10月9日(日)
イベント 子ども落語大会 於:天満天神繁昌亭 9/11(日)に開催の、第11回子ども落語大会の入賞者が天満天神繁昌亭の舞台に立ちます
10時~12時 観覧無料
場所 天満天神繁昌亭
(大阪市営地下鉄 谷町線・堺筋線南森町駅、JR東西線大阪天満宮駅④B出口から徒歩3分)
10月15日(土)
町家衆イベント 折り紙(有料)
季節に合わせてさまざまな折り紙をお教えします。
作品は持ち帰っていただきます。
開催日:偶数月の第3土曜
時 間:13:30~15:00
10月16日(日)
イベント 町家でお茶会
町家の座敷で「ほっと一息」一服いかがですか
先着順50名、茶菓代300円
※当日10時30分より8階ミュージアムショップでお茶券を販売します
協力:大阪市役所茶道部
13時~15時
10月16日(日)
町家衆イベント 今昔語り
大阪に残る昔ばなしを、町家の座敷でお聞かせします。
あたたかくなつかしい風情をお楽しみください。
開催日:お茶会と同日
時 間:14:30~15:00
10月16日(日)
町家衆イベント 町の解説
江戸時代の大坂では人々はどのように暮らしていたのか。
当時の史料(複製)とともに町会所で詳しく説明します。
開催日:第1・3日曜
時 間:13:00~16:00
そのほかのイベント・ワークショップはこちらからご覧いただけます。
そのほか定期開催のイベントはこちらからご覧ください。
大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからどうぞ。
「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。
「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。≫http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。≫http://www.sumai-machi-net.com/howtouse
「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。
「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。≫http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。≫http://www.sumai-machi-net.com/howtouse
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